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ライフ #生涯現役の人生学

失われた空への回帰 MRJ初飛行に思う

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“芋づる式”という言葉がある。つるを引っ張ると土中から次々と芋が現れるような、事実の連環性をいう。私の場合は記憶だ。

三菱航空機が国産最初のジェット旅客機MRJ(三菱リージョナルジェット)を造り、初飛行に成功した。県営名古屋空港で滑走から飛行に移る機の光景を、私はテレビの実況中継で目を凝らして見た。思わずグッと来た。こんな思いは都庁在職中に歩行者天国が実施され、銀座4丁目の車道に恐る恐る片足を下ろしたとき以来だ。あのときもグッと来た。

今回の“グッと”は芋づる式にいろいろな思いが襲ってきた。少年時代の空へのあこがれ、養子であるための親たちとの確執、それから逃れるための海軍予科練への入隊、特攻に編入されても乗る飛行機なしの惨めな敗戦、戦後“予科練崩れ”としての荒れた闇市暮らし。そしてGHQ(連合国軍総司令部)による日本の航空機開発・生産の禁止、国産プロペラ機YS-11の初飛行(これも名古屋空港だった)、日本の空でさえ航空機同士の連絡はすべて英語(“失われた日本の空”。これも敗戦のせいだ、という絶望感を深めた)。そんなことが次々と思い出された。

敗戦直後、羽田空港の大拡張工事が行われた。指定地域内の住民が急きょ移転させられ、日本の警察と米軍のMPが容赦なく追い立てた。穴守稲荷の社殿も消え、鳥居が土中でひっくり返っていたのを目撃した。(これが敗戦だ)、私は実感した。それでいて私は空港拡張工事に一労働者として参加していた。工事の指揮はTAEP(トウキョウ・エリア・エンジニア・プール)、米第8軍(司令官・アイケルバーガー中将)が総監督。実際の工事は日本の大手土建会社が行っていた。私はその一社に雇われていた。ある風聞を知ったからだ。

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