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脚力がはっきりわかるほど弱ってきた。道を歩くときも道路が斜面になっているとよろめく。慌ててかかとに重心を置いて支えるが、必ずしもうまくいかない。

今まで他人から健康法を聞かれると「朝5時から散歩しています」と答えてきたが、もはやこれはうそだ。外に出ようという気力がなえた。かといって散歩をやめたわけではない。実行はしている。ただし朝ではなく夕暮れだ。飲み屋に行くときの歩行だ。だからあまり近い店には行かなくなった。散歩といえる距離を保つ店に限るようになる。

「どうしたんだろう。この頃ちっとも寄らないね」。当然無視された店ではそういう疑問を持つだろう。それをいちいち店に顔を出して「近すぎて運動にならないから寄らないよ」と断るのもおかしなものだ。

前は顔色がよくて講演会のときにおばあさんから「パックは何をお使いですか」と聞かれたことがある。この間白内障の手術をしたら、片方の目が視力を回復し、眼鏡なしで対象がはっきり見えるようになった。特に白とブルーが鮮やかに目に映る。

驚いたのは自分の顔だ。シミだらけだ。情けなくなった。顔の実情に情けなくなったのではない。おばあさんの質問をそのまま信じてきた自分の愚かさに対してである。おばあさんがそういう質問をする以上、私の顔はシミ一つなく、年齢不相応なほどつやつやしている、と信じてきた。

が、これは私の思い込みで、おそらくその頃も視力のよい人から見れば、私の顔はシミだらけだったのに違いない。私だけがそうじゃないと思い込んできただけなのだ。

さて、だからといってこの顔をどうしようかなどとは思わない。簡単な手術で取ってくれるお医者さんはいる。が、私の顔をきれいにするため(顔だけでなく手にもある)には数十万から百万円かかるのではなかろうか。それに私の考えの底には孔子の教えがしみ込んでいるので、「身体髪膚これを父母に受く、敢えて毀傷せざるは孝の始めなり」という教えが頭の中にちらつく。手術や注射が嫌いなのもこの教えのためだ。

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