(第1回)言葉の「市場化可能性」を追い求めた作詞家

(第1回)言葉の「市場化可能性」を追い求めた作詞家

高澤秀次

 この格差社会にあって、売れると売れない、大富豪と大貧民との違いはどこにあるのか。
 「市場化可能性」(marketability)を掴むか、見放されるかの違いである。
 市場化可能性とは一口に、昨日までゼニにならなかったものが、ゼニになる可能性のことである。
 たとえば「水」がそうだ。コンビニには、何種類もの「天然水」が置かれているが、日本におけるそのはじまりは1973年、サッポロビールの天然水「No.1」の発売だった。空気と水はタダの神話は、ここで崩れる。携帯に便利なペットボトルの開発など、水道水ではない有料の「水」の市場化可能性が追究された結果、はじめて天然水は商品化されたのだ。

 さて、言葉もまた商品になり得る以上、その市場化可能性が、言葉で生きる人間にとっての勝負になる。
たとえば作詞家というのも、特殊な言葉のプロフェッショナルである。彼らの書く歌詞は、曲と一体した商品として市場に出なければ、クズに等しい。だから作詞家は、言葉の市場化可能性に関して、高尚な詩人などより、はるかに洗練されたプロなのだ。
 時代が何を欲し、何を無用としているか。そのために、庶民大衆の無意識にあるものを、いち早く探り当てること。商品としての言葉を扱う作詞家は、そのマーケティングを一刻も怠ってはならない。先頃亡くなった阿久悠という作詞家は、何よりも言葉の市場化可能性の追究によって、戦後歌謡に新世界をもたらした人間だった。

 ヒット曲誕生の秘話に即して、具体的に見ていこう。
 1972年に山本リンダが歌った『どうにもとまらない』(作曲・都倉俊一)という曲がある。この曲のタイトルは当初『恋のカーニバル』という平凡なものだったのを、レコーディング終了後に差し替えたと、阿久悠自身が語っている。
 たしかに『恋のカーニバル』では、時代に訴えかけるインパクトは致命的に乏しい。1972年といえば、田中角栄(当時首相)による「日本列島改造」ブームに沸き立ち、国民も一様に舞い上がっていた時期だ。

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