特別寄稿
哲学、美学がない企業に未来はなし 石井 裕 MIT(マサチューセッツ工科大学)メディアラボ 副所長

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「more is better」から「less is more」へ

私たちが生み出す新しいアイディアの実用化・産業化については、 Media Labの研究を支援してくださるメンバー企業とのコラボレーションに期待している。そして私たちがつくり出す未来ビジョンは、私たちのライフスパンを超えて、次世代の若者たちにしっかりと語り伝えていくことに焦点を絞っている。

歴史をひもといてみても、ビジョンの創造とそれが産業化される過程には大きな時間的隔たりがあり、しばしばメインプレーヤーが変わる。かつてヴァネヴァー・ブッシュが1940年代に発表した情報検索システムのビジョン「memex」は、後に登場するハイパーテキストの概念に決定的な影響を及ぼした。しかし当時としてはあまりに先進的すぎる概念であり、実現は次の世代に委ねられたのである。私たちのグループの生み出すビジョンも、「ラディカル・アトムズ」のように、次の100年ではフル実装・実用化できないものが多い。そのために論文・映像として次世代の研究者・技術者たちのためにアイディアを「アーカイブ」して遺すことにもエネルギーを注いでいる。

日頃気にかかっていることを1つ述べさせていただきたい。それは、 企業の製品高機能化競争を見るにつけ感じる「more is better」という足し算的強迫観念についてである。

ソフト/ハードメーカーの製品に顕著だが、あらゆる製品の機能スペックが毎年肥大化し続ける一方、大部分の機能が使われていない現状があり、その結果、ユーザーエクスペリエンスの質も低下している。たとえばテレビの高解像度開発競争。解像度がどんどん増し、スペック上では人間の視認性能限界を超えて、この上なくリアルな表現を実現している。しかし、その結果として、肉眼では普段見えない微細なものまで見えるようになってしまった。見たくないものまで、見えてしまう、見させられてしまう。その結果、本来注視すべき対象に意識を集中できなくなる。皮肉なことに、超高解像度、超高画質というリニアーな技術的価値軸だけを追い求め続けると、すぐに他社と差別化ができなくなる。そしてユーザーも、肉眼で識別できないほどの超画質に対価を払ってくれなくなる。

これから求められるのは、「more is better」に代わる「less is more」の思想である。自らがつくり出したい世界観を実現するためには、その世界観に直接貢献しない要素を徹底的にそぎ落とす必要がある。より高機能(=複雑)にするのではなく、余計な機能をそぎ落として、よりシンプルに磨き上げる。「シンプリシティ」は哲学であり美学だ。

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