結局のところ「米朝首脳会談」は実現するのか 失敗の歴史を振り返る

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2003年ー2009年、6カ国協議

金正日総書記は2003年1月、1985年に加盟した核兵器不拡散条約(NPT)からの脱退を表明。その3カ月後、核兵器の保有を宣言した。

北朝鮮の核開発計画に平和的な解決を模索する目的で、北朝鮮のほか、韓国、中国、米国、ロシア、日本が参加する第1回の6カ国協議が北京で開催された。

2004─05年にかけて6カ国協議は断続的に開催されたが、北朝鮮はミサイル発射実験を継続した。北朝鮮側は、支援と引き換えに実験などの一時停止を申し出る一方、米国などの「敵対的行為」への懸念を表明することが、いつものパターンとなった。

6カ国協議が中断していた2006年、北朝鮮はミサイル実験を加速させる一方で、米国が核の脅威となっていると批判。当時のブッシュ米大統領が警告を発した。

北朝鮮の約束は果たされなかった

2007年2月に開かれた6カ国協議で、北朝鮮は、重油提供と引き換えに原子炉を停止すると約束。また、凍結された資産2500万ドルの返還を米国に要請。6月に要求が通り、その1カ月後の再協議に道が開かれた。

だが、その年末までに核開発活動の全てを公表するという、北朝鮮の約束は果たされなかった。

2008年5月、北朝鮮は米国に、テロ支援国家の指定解除を要請。米国は同年10月にこれに応じ、北朝鮮は寧辺(ニョンビョン)核施設の取り壊しを再開した。

2009年、国連の安全保障理事会は、ミサイル実験を行った北朝鮮に対し、制裁強化を表明。それまでも査察に反発していた北朝鮮は、これを契機に6カ国協議からの離脱を表明した。

1994年─2002年、クリントン、ブッシュ政権の米朝対話

1994年、当時のクリントン米政権は、北朝鮮との間で米朝枠組み合意を締結。北朝鮮に核開発プログラムを凍結させ、最終的に破棄させる目的だった。北朝鮮は、その引き換えとして、米国との国交正常化や軽水炉建設支援、そして燃料供給を受ける可能性を探った。

だが、北朝鮮によるミサイル生産・輸出が問題となった。米国は、北朝鮮にミサイルビジネスの停止を迫るための交渉を開始。北朝鮮側は、収入減少を穴埋めする補償を求めた。1998年、パキスタンにミサイル技術や部品を提供したとして、北朝鮮に制裁が科された。

2001年にジョージ・W・ブッシュ大統領が就任すると、北朝鮮側は米国の態度が敵対的に変わったことを察知。米政府は、ミサイル関連の資金送金にかかわったとして、北朝鮮企業に制裁を科した。

2002年、ブッシュ大統領が、北朝鮮はイランやイラクと並ぶテロ支援や核兵器の入手を企てる「悪の枢軸」だと発言したことで、両国関係はさらに悪化した。

米朝の枠組み合意は、米国政府が北朝鮮が秘密裡に核兵器の開発を進めていたと断定し、北朝鮮が自衛のために核兵器を保有する権利があると反論したことで、2002年に崩壊した。北朝鮮は、米国が約束した重油の提供を遅らせていると非難。国際査察官に国外退去を命じ、核施設の稼働を再開させた。

(翻訳:山口香子、編集:下郡美紀)

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