渋谷がいつの間にか「池袋化」している理由 渋谷を渋谷たらしめた文化は影を潜めた

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ところが、こうした施設は2000年以降、少しずつ姿を消していく。2000年には、1969年に公園通りに誕生し、演劇やライブなどで親しまれた小劇場渋谷ジァン・ジァンが閉館。2005年には1912(明治45)年に渋谷で創業した大盛堂書店本店がビル建て替えで閉店、跡地にはファストファッションのZARAが入った。2010年前後からはシネセゾン、シネマライズなどミニシアターの閉館も相次いでいる。

現在の公園通り。手前が閉店したギャップ公園通り店。中央が工事中のパルコ(筆者撮影)

さらに、2016年8月にはパルコが閉館。人通りが減った公園通りを嫌って2017年5月にはギャップ渋谷店も閉店し、公園通りは寂しくなった。

2019年には20階建ての大型複合ビルとして再スタートする予定だが、駅から遠い公園通りに人は戻ってくるだろうか。頼りは公園通りと駅をつなぐ地点にある西武百貨店だが、春日部、旭川、柏、筑波、八尾、船橋と西武・そごうの他店舗の相次ぐリストラニュースを聞くと過度の期待は持てない。

渋谷発のファッションが生まれなくなった

2つ目の理由はファッション業界の変化だ。1980年代以降、渋谷は若者ファッションを生み出してきた。1980年代中盤から1990年代前半にかけて若者を渋谷に引き寄せたのが「渋カジ」といわれたスタイル。その後、1991年から2001年にかけてはチーマーを皮切りに、コギャル、ロコガール、ガングロ、ヤマンバ、ギャル男などと称されるギャル文化が一世を風靡した。渋谷で流行ったルーズソックスや厚底ブーツなどが全国に広まったことも今では懐かしい話だ。

だが、それ以降渋谷発で全国に広がるファッションは生まれていない。かつてカリスマ店員と呼ばれる人たちを生み、ギャルファッションの聖地だった渋谷109も2009年度の286.5億円をピークに売り上げは減少の一途をたどっている。

2008年に日本に上陸した「H&M」、2009年の「FOREVER21」などのファストファッションに押される一方なのだ。加えて、ネット通販、フリマ市場など衣類購入の選択肢の豊富な現在、ギャルがわざわざ渋谷109に買い物に行く必要はなくなったのである。

3つ目は鉄道の延伸、相互乗入れだ。便利になればなるほど、渋谷の特別感はそがれてきたのである。ストリートから流行が生まれた渋カジ時代には口コミと雑誌が情報源だったから、渋谷に行くことに意味があった。日常的に渋谷に行けるということはステータスでもあった。チーマー、コギャルの時代にもわざわざ渋谷に行き、センター街をうろつくことが楽しかったのだろう。

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