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髙橋編集長が会いに行った4人目は、青山学院大学陸上競技部の原晋監督。情報の入手法や学生の育成方法を聞くつもりが、話は「私は日本陸上界を変えたいんです」と予期せぬ方向へ。「学生たちのために環境を整えたい」「箱根駅伝は地域活性化にもつながる」という原監督の熱い思いが炸裂したインタビューとなった。


原 晋 はら・すすむ
1967年3月8日、広島県生まれ。青山学院大学社会情報学部特別研究員陸上競技部監督。広島県立世羅高校では主将として全国高校駅伝で準優勝し、中京大へと進学。中国電力陸上競技部では目立った成績を残せぬまま5年で引退し、その後同社の営業マンに。青学大幹部に提出したチームの育成計画が評価され、2004年から現職。09年に33年ぶりの箱根駅伝出場、15年初優勝、16年連覇を達成した。著書に『青トレ』(徳間書店)『フツーの会社員だった僕が、青山学院大学を箱根駅伝優勝に導いた47の言葉』(アスコム)など

100メートルの日本記録は18年前のもの
つまり、18年間何の進歩もない

髙橋 まず、今回のインタビュー共通のテーマである「30歳ごろにどんな情報を入手し、どんな本を読んでいたか」というお話から伺えますか。

原  実はね、私は本を読まない人だったんですよ。今でこそ少しチヤホヤされていますけれども、ついこの間までダメダメ男でしたから、本当。人生の底辺にいた男ですからね。

髙橋 著書『逆転のメソッド』(祥伝社)を拝見すると、とてもそうとは思えない。

原  私も思いたくないですけどね(笑)。ずっと同じことを言い続けてきた結果、ようやく今があるだけの話で……。ただ、テレビは「プロジェクトX」(NHK)、「ガイアの夜明け」(テレビ東京)、「情熱大陸」(毎日放送)、あるいはベンチャー企業やオーナー企業の波瀾万丈的なドキュメント系番組、そういうものは積極的に見ていました。

髙橋 ジャンルの違う方がたくさん出られますね。

原  よく「今の陸上の現場で何を模範にしたか」「師匠は誰か」と聞かれますが、スポーツの分野の師匠は特にいないんです。ただ今言ったテレビ番組とか、あるいは漫才でも何でも、私はすべて自分に置きかえて見るんですよ。「俺だったらこうするな」と。

髙橋 感情移入できてしまうということですか。それは一種の特技じゃないですか?

原  ドラマなら「俺が主人公だったらこうだな」「脇役だったらどうかな」と考える。そうやっていろんな角度で物事を見るようにはしていたのかもしれない。

髙橋 著書を拝見して印象的だったのは、「自分で何か積極的に決断したのは高校を選んだことだけだ」という部分です。「あとは言われるまま来たものを受け止める人生だった」と書かれていて、意外でしたし、一方ですごく共感もしました。

原  確かにそうですね……。ちょっといろいろと脱線しながら話しますね。

私の持論ですが、人生って節目、節目の決断である程度その後が決まりますが、その節目は実はそんなに多くない。ただ、今の日本ではそこで決断を誤るとずっと逆風の中を進まなければいけなくて、ものすごくつらい。一回の失敗をなかなか取り戻せないという、そんな旧態依然とした考え方が私は大嫌いで。

学歴社会の中で中・高・大とエリート街道を進んで、あとの人生も大体レールに沿って楽に生きていけばいいという考えを持つ人への反骨心が私にはある。だから今もスポーツの現場で頑張っている面がありますね。

髙橋 スポーツでもエリートばかりが優遇される傾向はあるんでしょうか。

原  陸上の世界で言えば、競技実績がよかった選手がそのままそっくり陸連に入ったり、実業団や大学の監督になったりするわけですよ。私みたいに競技実績がないやつなんかおりゃしない。でも、選手としてはダメだった私が、監督として大学の三大駅伝の二つに大会記録で優勝しているわけです。

陸上界に限らず「その道の成功者以外はダメだ」というような風潮がありますが、本当はいろんな人種がまざり合うことで新しいものが生まれる。ビジネスの世界でも社外取締役制度が広がっていますよね? いいことだし、いろんな異端を選べばいい。会社は誰のためにあるんだ、陸上村は誰のためにあるんだと考えていったら、その会社や村の中だけの人種で構成されることは発展性もなく、面白味もありません。

髙橋 原監督も最初は異端という形だったかもしれないですが、箱根駅伝二連覇も達成して、もう今や異端ではなく中心にいるんじゃないですか。

原  いや、それがこの世界はそうはならないんですよ(笑)。私自身は異端ではなく「先端」だと思ってやっているんですけどね。陸上界はもとよりスポーツ発展のために私はもっともっと汗をかく準備はできているので、私みたいな新参者を受け入れる度量が陸上界にあればいいのですが。組織を大きく変えるためには、「劇薬」が必要ですから。

サラリーマン生活を10年経験して陸上界の現場に戻ってみると、摩訶不思議な光景がいくつもあるんですよ。もしかすると、陸上界は儲からなくてもいい、発展しなくてもいいと思っているのかもしれない。陸上界が伸びないからといって国民からバッシングされるわけでもない。自分のクビがかかっているわけでもないから、責任者に危機感がないと思うんです。

髙橋 だとすると、陸上界の将来が心配ですね。

原  ちょっとデータのお話をしましょう。陸上の日本記録は100メートルから競歩まで男子24種目あります。この中で20年以上日本記録が破られていない種目がいくつあると思いますか。

髙橋 100メートルの世界記録もどんどん縮まっていますし、普通に考えたらゼロ、でしょう。

原  普通に考えたらね。でもね、6種目あるんです。円盤投げなんて37年間破られてないんですよ。

髙橋 そんなに。

原  20年以上前の記録ですよ。今、東洋大学の桐生選手が日本人初の9秒台を出せると期待されていますね。100メートルの日本記録は10秒00なんですが、じゃあ、これは何年前の記録かご存じですか。

髙橋 伊東(浩司)さんですよね。

原  そう、それが18年前。1998年なんです。外部の人たちから見れば、陸上界の方たちは18年間何をやっておったんやという話ですよね。今、選手は大事な時期なので水を差したくはないんですが、これはやっぱり言っておきたい。

もっとハードルを下げて、10年以上破られていない記録がどれだけあるかというと、15種目、約6割もある。

髙橋 半分以上になっちゃうんだ。大体、陸上に限らず、スポーツ競技は時代とともにレベルはどんどん上がるものですよね。

原  企業だったら赤字倒産ですよ。利益が18年間出てないようなもんです。なぜこんな風になったんやと考えて、パッと思いついたのが23年前の出来事です。

髙橋 23年前? 何だろう。

原  Jリーグの発足なんですよ。

髙橋 身体能力の高い選手がサッカーへ行ってしまったということですか。

原  それもあります。もっと言えば、今ではJリーグはすっかり定着して、日本代表の試合になるともうみんなフィーバーしてますよね。陸上ではそういうことにならない。陸上を華やかなものにしていない、というか、しようとしてこなかった陸連の責任は大きい。陸上界が盛り上がれば、イコール競技人口が増えて、イコール競技レベルが上がるというのが私の論法です。多くの選手や指導者はテレビなどのメディアに積極的に出ていくべきで、各連盟や指導者の方々も「メディア露出を増やすことはいいことだ」という認識を持つべきだと思います。スター選手が出現するのを待っているだけでは世界との差は開くばかりです。

髙橋 その姿勢、いいですねぇ。

原  理屈は合ってるでしょう。今、私が最近熱くなるテーマが二つあって。一つはジュニア世代における準備運動の見直しです。日本ではこの90年間ずっとラジオ体操が基本になっています。ラジオ体操を全否定するつもりはありませんが、「それはベストの準備体操ですか」と問いたい。青学では「青トレ」と称して、動的ストレッチやコアトレーニングを積極的に取り入れています。体育の現場にも広がっていってほしい。準備運動のレベルが上がれば、スポーツのパフォーマンスは上がってくるはずです。

もう一つは「ゆとり教育」についてです。今こそゆとりを推し進めるべきだと思っている。皆、本質を理解していないと思う……私も最近理解したくちですが(笑)、ゆとりの本質は上意下達・軍隊方式の戦後教育を変えて、自立型の人間を育てることにあるんですよ。いつのまにか宿題をなくしたり、3.14の円周率を3と教えたりする「サボり教育」になって批判されましたが、本質そのものは正しかったはずです。「チャレンジ教育」とすればいいんですよ。いいネーミングだと思いませんか(笑)。


箱根駅伝は地域活性化につながる
そのために、全国区の大会へ

髙橋 青学の駅伝チームは半年先の姿をきっちり作って、それを一つずつクリアしていく目標管理スタイルで知られていますが、監督ご自身は今どんな目標を設定していますか。

原  私はもう箱根駅伝三連覇とか大学駅伝三冠という、陸上界の中の小ぢんまりとした目標設定はしたくないんですよ。箱根駅伝の優勝監督というのは陸上界の目立つ存在だと思っていますし、だからこそ、陸上界の発展に何か貢献する責任が私にはあるはずです。

髙橋 毎年あれだけ盛り上がる陸上の大会はないですよね。視聴率も大変なものですし(注:2016年1月2日の往路は28.0%、翌3日の復路は27.8%=ビデオリサーチ=)。

原  だから、やはり陸上界を華やかにしたい。スポーツ紙に載っているのは野球かサッカーか競馬……、たまに陸上ですよ。たま~に小さく。一面じゃなくてもいいから、つねに陸上の話題が載っている、あるいは土曜日の20時からは必ず陸上のテレビ中継があるような環境にしたい。選手たちや子どもたちのために、努力の先におカネも稼げる仕組みを何とか作りたい。

髙橋 おカネを生み出して循環させないことには、どんな事業も先は見えないですものね。

原  米国の大学ではアメフトもバスケも放映権ビジネスが成立しています。日本の箱根駅伝も組織を作って、放映権料やグッズ販売料が入るようにして、その資金を自分たちの組織に使うようにできればいいですね。駅伝だけじゃなくてほかの競技にも分配できるようになればベスト。

今はまだ多くの学生自身の金銭的負担が少なくありません。合宿に行ったり、運動用具をそろえたり、個人の持ち出しが多いのが現実です。メジャー競技の箱根駅伝出場者でもこうですから、マイナー競技は推して知るべしです。もっともっと日本のカレッジスポーツを繁栄させて、選手を競技に専念させてあげて、その結果競技レベルも上がっていくのが理想ですね。

ですからね、まずは、箱根駅伝を全国区の大会にしたらどうかと思うんです。全国各地、わが村から箱根駅伝の選手を出そうという動きが起きるはずですから。私は広島出身ですけれども、箱根駅伝に広島の大学が出られるとなったら、広島には陸上クラブチームが数多くできますよ。全国の大学が箱根駅伝予選会に参加でき、予選会を勝ち抜いたら本戦出場可能にする。たとえば現在21チームが参加可能になっていますが、参加校を25大学に増やし最初のうちは関東学連に配慮して20枠+α、地方枠は最大5枠にするとかね……。

地方の活性化にもなるはずです。若者を地元に定着させるためは魅力ある大学づくりが必要ですが、そこにスポーツが果たす大きな役割があると思います。

この話の実現は私一人の立場では無理ですよ。ただ、言っていく人間がいないと何も変わりません。自分の思いはいろんな形で伝えていくべきですよね。実現するかしないかはさておき、誰かが発信し続けていれば、政治家、多くの校長先生をはじめ教育現場の方々、あるいは地域の皆さんの中にも賛同してくれる人が少しずつ出てくると思うんです。最初の声がゼロだったら、100万をかけてもゼロですからね。

髙橋 そういう「1」があるかどうか。

原  「1」があるから前に進めていけるので。


解説本は、あくまで「裏付け資料」
すべてのベースは自分の体験

髙橋 監督は学生たちに対して駅伝のタイムを良くすることとは別に、人間性を育てる指導をされているそうですが。

原  キーワードは「言葉」ですかね。私がやっているのは言葉を自由に発信できる土壌づくり。何かアイデアが湧いても「そんなことできるわけがねえだろう」とか「もっと偉くなってから物申せ」なんて言われたら学生はしゃべれなくなります。私が目線をある程度下げて、歩み寄る姿勢が大事です。具体的には、「朝の一言スピーチ」という寮で行っている習慣があります。学生が何かキーワードを設定して、1分間で起承転結をまとめて、最後に陸上の世界に置きかえて話す。監督の私はあえてコメントしません。私がコメントすると、私に気に入られるような内容になっちゃう。だから、ただニコニコしておく。いい内容のときは周りから自然と拍手が起きます。寮生たちと私、合計40人の前に立って話をするのは、同じ仲間でもそれなりに緊張しますよ。その積み重ねで考える能力が出てくる。

髙橋 そうやって自主性を伸ばすということですか。

原  自主性というか、哲学的なところで支配しているというふうな感じかな。監督に就任して最初のテーマに、「感動を人からもらうのではなく、感動を与えることのできる人間になろう」ということを、ドンとうたったんです。そこにはさまざまなアプローチがあるわけですよ。答えは一つじゃない。「何分何秒で走りなさい」では、それがもう答えになってしまうから、生徒たちが考える余地がなくて結局幅が広がらない。私はつねに大きい視点で物事をとらえて、立場によって違う答えが出てくるように仕掛けているつもりです。

髙橋 雑誌の特集でも、答えを教えるような内容は山ほどある。「これを読めばすぐ雑談力が上がりますよ」とか、「これをやれば時間節約できますよ」とか。でも、それだけじゃつまらない。『週刊東洋経済』の記事は、正直そうしたノウハウは少ないです。でも、「なるほど、こんな経営者がいるんだ」とか、「この人たちはこんな工夫をしているんだ」という読後感を読者が自分でかみ砕いて、すぐではないけれども近い将来、自分の仕事のパフォーマンスも上がるという形になればうれしいと思っています。

原  陸上にも「足が速くなる」みたいな解説本とか参考書がありますが、あくまでもそれはきっかけとか裏付け資料なんですよね。

髙橋 裏付け資料……。

原  そうです。つねに主人公は自分であり、自分で動いてみた後にそういうものを読んで「やっぱりこういうことだったか」と裏付けするのに使うだけなんです。


陸上も雑誌も現場がすべて
人がかかわるドラマがある

髙橋 次の箱根ももうあと半年ですね。

原  グラウンドで選手の練習を見ている時、監督はただ見ているだけですが、実は漠然と見るだけではありません。その子の表情や動きから何か感じ取っている。青学が駅伝において大ブレーキがない理由はそこなのかな。

髙橋 普通の人間からすると、選手の調子はタイムでしか判断できない気がします。表情や動きが多いスポーツではありませんし。

原  タイムには表れない部分があるんです。観察して、見えない部分をどう推測するか。「あっ、この子はあと1週間したらタイムがぐっと上がってくるな」とわかるようになりますよ。

陸上でもビジネスでも、現場にいないとね。私もビジネスマンをしていたからわかりますが、管理職が現場にも出ず、メールで送られてくる収支報告書や日報だけを見て判断していたら大きな間違いが起こります。現場の雰囲気を感じ取ることが管理職の大切な仕事ですよね。

髙橋 私たち雑誌記者も同じです。経済統計のデータだけ眺めていても記事なんて書けません。とにかく取材へ出掛けて、あっ、こんなものが安くなっている、こんなところに人が集まっていると肌で感じる。経済雑誌ってなんだか数字が並んでいるだけというイメージをもたれがちですが、『週刊東洋経済』のキャッチフレーズは「経済はドラマチックだ」なんです。経済というフィールドの中で、人と人が織りなすエピソードを伝えたいと思っています。箱根駅伝も毎年ドラマですけれど、経済もドラマです。

原  いや、そうですよね。最後は人ですから、それはドラマチックになりますよね。

髙橋 今日はありがとうございました。


編集後記
帰り道、青学チームと『週刊東洋経済』には自主性という共通点もあるなと思いました。ご存じない方も多いと思いますが、東洋経済はどこの記者クラブにも属していません。自由な取材活動が基本です。さらに私なりに小誌のカラーを表現するなら、集団主義ではなく個人主義である、熱狂を警戒する、人を支配するのもされるのも嫌う……、などでしょうか。そしてそれは東洋経済というチームの雰囲気でもあります。
髙橋由里 たかはし・ゆり
1994年に東洋経済新報社に入社し、会社・業界担当記者として自動車、製薬、空運・陸運、ホテル、百貨店などを担当。『週刊東洋経済』編集部では「人」を中心とした記事づくりをベースに、幅広いテーマで特集を制作。2014年4月より女性として初めての編集長に就任。早稲田大学政治経済学部卒