それでも「君が代」が国歌であり続ける理由

近代日本を象徴する不思議な歌

『古今和歌集』の短歌の一つ、「君が代」(写真 : barman / PIXTA)
議論の絶えない国歌「君が代」。近代日本を背負った140年余のその生命力とは。『ふしぎな君が代』著者の辻田真佐憲氏に聞いた。

 

──政治と芸術の視点から「君が代」の歴史をひもとくと、新しい理解ができるのですか。

合意が取れていない議論を延々と繰り返すのはあまりに不毛だ。なぜ問題になるのか。一言で言えばこの歌は近代日本そのものなのだ。1869(明治2)年に誕生して、今まで国歌であり続けている。近代日本のいいところも悪いところも象徴している。まず政治と芸術の視点から、知られざる歴史に迫ったらどうか。

「君が代」が国歌になるまで

──誕生秘話にも定説がありませんね。

辻田 真佐憲(つじた・まさのり) ●1984年生まれ。慶応義塾大学文学部卒業。同大学大学院文学研究科修士課程中退。現在、政治と文化・娯楽の関係を中心に執筆を行う。著書に『たのしいプロパガンダ』『日本の軍歌国民的音楽の歴史』『愛国とレコード』『世界軍歌全集歌詞で読むナショナリズムとイデオロギーの時代』など。

明治早々、英国王子の来日で急きょ国歌が必要になる。急場しのぎで、『古今和歌集』の詠み人知らずの短歌に鹿児島で愛唱されていた「蓬莱山」の節をつけて間に合わせたというのが、維新の元勲、大山巌の回想を基にした有力説だが、真説とは断定しにくい。

──探究すると説は八つに及ぶとか。

ここ20年、近代音楽史の研究は進み、「君が代」の論文も最新の研究がいくつか出ている。国歌がこんなに問題になるとは思っていないので、誕生にまつわる資料は皆無だ。昭和になってから伝聞が記述され残っている。誰が歌詞を選んだかは特定できないが、明治政府の誰かが選んだ。それを英国人が作曲し、日本語で歌えるように雅楽の若き専門家の奥好義(よしいさ)らが改訂し、ドイツ人が五線譜に直して1880年に今の「君が代」ができたことはわかっている。

当時、日本には国歌という概念自体がなかった。だが、なくては文明国扱いされないので、急きょ作らなければならない。いい歌詞はないかと既成のものを探し、最終的に絞られたのが和歌の「君が代」で、『古今和歌集』に載っているもの。『古今和歌集』では、「我が君は」で始まる。それが平安時代末期に「君が代は」に言い換えられたといわれる。

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