それでも「君が代」が国歌であり続ける理由 近代日本を象徴する不思議な歌

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──どのように普及していったのですか。

普及手段は限られている。楽譜を配っても読める人は皆無。本格普及は昭和初期、レコードが普及した時期と重なる。公式の楽譜も用意されて、文部省が単なるメロディラインだけではなくて、どこで区切るか、息継ぎするのかを示した楽譜を作る。学校で教えられ、ラジオでも模範的な歌い方が聞けることで定着する。半世紀ほどかかった。

「君が代」は政治と芸術の関係の古典的問題だ

──そして、戦争期です。

戦争期は、天皇を中心に団結しようというのが当時の雰囲気。「君が代」は都合がいい。「君が代」が必要とされた時期で普及が加速する。ただし厳粛な歌であり、歩きながら口ずさむようなものでない、ご真影に向かって歌うなどと教えられた。国威発揚に大いに利用され、植民地での公民化政策に使われた面もある。

ところが、戦争に負け、その歌詞では不都合になった。憲法が変わって、天皇は象徴になり、主権は国民。「君が代」ではよくないのではないかとなって、新しい国歌の候補曲公募が次々と行われる。日教組も「緑の山河」を作った。しかし、結局、「君が代」に勝てない。

──もめ続けます。

国民一般はこの議論から一歩引いた姿勢だが、一部の右と左が争い、両者は妥協する気がない。しかも保守的な政権になると強制しようと、教育者に懲戒処分を行ったりした。明治時代にも「君が代」は暗い、歌う気がしないといった批判はあったが、この状態をこれからも放置していていいわけはない。

──どうすべきですか。

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世界を眺めれば、歌うことを義務化しているのは中国など一部しかない。欧州はほとんど歌わない。日本はどちらのタイプを選ぶのか。歌わせるのは確かに圧迫感が強い。斉唱が反発の原因だと思うので、「聞く国歌」はどうか。スポーツの国際試合などでもほかの国の国歌は聞く。歌い手にお願いする、歌いたい人は歌うなどでいいのではないか。それが日本の状況に合っている気がする。

──政治と芸術の関係とも絡む。

戦後70年経って政治と芸術や文化を警戒なく結び付けるところが目立ってきた。自衛隊の募集ポスターにアニメキャラが使われたり、少し前の自民党若手議員の勉強会で配られた会の目的に「政策芸術」という言葉があったり。「君が代」は政治と芸術の関係の古典的な問題といえる。これ以上進むと、プロパガンダになってしまう。その線引きが今後の一つの防波堤になると思っている。

塚田 紀史 東洋経済 記者

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つかだ のりふみ / Norifumi Tsukada

電気機器、金属製品などの業界を担当

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