机を蹴飛ばされても前に進む「異色の官僚」

経産省 製造産業局 生物化学産業課長 江崎禎英(上)

 経済産業省の江崎禎英課長は、誰もが不可能と思っていた制度改革に次々と挑戦してきた。ベンチャー企業の資金調達のための店頭市場改革、貿易促進のための外為法改正、再生医療実用化のための薬事法改正や新法の制定など、多くの人がその恩恵を受けている。あえて難しい仕事に手をつけ、対立する他省庁を巻き込んで、“幸せのかたち”を追求する江崎課長とは、いったいどんな人物なのか?

なぜ理系から、国際関係専攻に移ったのか

三宅:今日は私の経産省時代の先輩でもある江崎さんに、話を聞きたいと思います。最初に、江崎さんはもともと理系のバックグラウンドですが、ユニークな発想の原点を知るために、生い立ちも含め、なぜ経産省(当時の通産省)を志したのか、というところから教えてください。

江崎:正直なところ、初めは通産省に入ろうとは考えていませんでした。通産省は日本の官庁でありながら、自らMITI(ミティー)などと名乗り、おしゃれで少し気取った役所というイメージがありましたので、田舎者の自分にはまったく合わないと思っていました(笑)。

三宅:そんなに田舎の出身なのですか?

江崎:私は、岐阜県の山合いの古い家に生まれ、「お前は長男だから家を離れてはいけない」と言われて育ちました(笑)。無医村だったこともあり、子供心に野口英世やシュバイツァーにあこがれ、将来は医者になって困っている人を助けるんだと思っていました。

ところが、中学3年生のときに担任の先生からいただいた量子力学の本にはまり、高校時代は医者になるか、物理の道に進むか大いに悩みました。いったん、医学部を受験しましたが、その頃起きた戦争のニュース映像に衝撃を受け、人が人を殺す不条理を止めることができたら、もっと多くの人が助かるのではないかという思いに駆られました。それで、このまま医者になるより、もう少しいろいろなことを勉強したいと思い、最終的に東京大学の理科Ⅰ類に進学しました。理科Ⅰ類だと、「医者も含めて最も広い選択肢があるだろう」と。けっこう安易な発想だったかもしれません(笑)。

三宅:東京大学では3年生になるときに専攻を選びます。理科Ⅰ類の学生は普通だったら理学部系か工学部系に進みますが、江崎さんはどうされたのですか?

江崎:せっかく岐阜を離れて大学に行かせてもらったので(笑)、1、2年生のときは生物、物理、地学、化学、社会学、法律など、空き時間がないほど授業を取っていました。特に有機化学が得意だったこともあり、専攻を決めるに当たって得意な化学か、好きな物理かでかなり迷いました。

決め手になったのは、有機化学の指導教官の一言でした。「人が一生の仕事を決めるときに、これが好きだからとか、あれが得意だからとかいった理由で選んではいけない。自分が何のために生まれてきたのかを考えろ。人生はそんなに長くない」と。それを聞いて、「そうだ、自分は戦争を止めようと思っていたのだ」と思い直し、国際関係論に進みました。バカですよね(笑)。

三宅:国際関係論は、東大の中でも最も難しい学科のひとつと言われていますので、成績は相当よかったのでしょうね。さて国際関係論では何を学ばれたのですか。

江崎:そこでは、戦争は軍事力や外交交渉といった表面的な問題で決まるのではないこと、結局、世の中を動かしているのは経済だということを学びました。日本が太平洋戦争に突入したのも経済が立ち行かなくなったためですから、やはり経済を勉強しないといけないと感じました。

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