現代の科学者には、どんな教養が必要か? 山折哲雄×鷲田清一(その3)

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山中さんに問うてみたいこと

山折:たとえば、今世界の脚光を浴びている山中伸弥さんのiPS細胞について言うと、それは大変な仕事をされたと思います。あの山中さんの仕事によって、どれだけの不幸な人々が希望を持つようになったかしれない。しかも山中さん自身が、科学者として非常に謙虚な方で、いろんな人々のことを思いやりながら、自分の研究を進めておられる。それ自体はすばらしいことです。

ただし、もうひとつ重要なのは、あのiPS細胞によってこの先、卵子や精子を作ることができるようになったということですね。そうすると、受精卵を作ることができ、生命を作ることができるようになります。技術としてはそこまで来たということです。これは生命科学の革命ですよ。

山中さん自身も、記者会見で生命倫理上の問題にも触れて、研究者だけでなく一般も含めて広く議論すべきだと言われていました。それはおっしゃるとおりですが、そのうえで私は、「科学者としてのあなた自身の責任はどうなのですか?」「科学者の社会的責任はどうなのですか?」と山中さんに問いたいと思いました。単に哲学的倫理の専門分野の人間に考えてもらう。宗教家がどう考えるのかというだけではなくて、科学者としての責任はどうなのかということですね。

今の社会は、アカデミズムもメディアも山中さんの仕事を絶賛しているだけで、ほとんど生命倫理上の問題に深く批判的に触れようとしてはいません。これを言うと、社会から強大な圧力を受ける、そのような不安と恐れがあるのでしょうが、やっぱり誰かそのことを正直に山中さんに問わなければならない。

だいたい、ノーベルの問題意識はそこから出発しているわけでしょう。ノーベルがノーベル賞を作ったのは、ダイナマイトを作ってしまったことへの科学者としての罪償感があったからではありませんか。それから、湯川秀樹にしろ、アインシュタインにしろ、原爆を作ったという罪償感から、戦後は平和運動へと身を転じていったわけです。

そういう伝統を、今、最前線にいる山中さんはどうお考えになるのか。科学者自身の社会的責任をどうお考えなのか。おそらく、これは教養の究極の問題にもかかわってくるのだろうと思うのです。

私は決して山中さんを単に批判しているわけではないのであって、ただただそのことを問うてみたい。

鷲田:科学哲学の分野で、今、こんなことを言うんですよ。山中さんという固有名詞を別にして、どこの分野でもいいのですが、最先端の研究者というのは、専門研究者ではなく、特殊な素人だと考えるべきだと。

山折:なるほど。

鷲田:つまり、ものすごく細かい、ある領域では世界トップクラスで人類の中でもいちばん先端を研究しているけれども、人文社会的な知見どころか、同じ生命科学でも、隣接領域ちょっと横のことになったらさっぱりわからない。それはわれわれ素人がさっぱりわからないのと同じぐらいわからないのだと。ましてや、この人たちは、哲学や歴史学の分野で何をやっているかはまったくわからない。だから、現在の科学の専門研究者というのは、「特殊な素人」、自分の専門領域のことだけ、あることについてだけよく知っているただの素人なんだと。

これは、先ほどの私の言葉で言うと、自分の研究が人間の全体の中でどういう位置にあるか、歴史的な経緯を知らないし、また知ろうとしないということです。彼らは知らないんですよ。なぜなら、彼らは過去の研究を読む必要を感じないからです。われわれのような人文系の哲学者は、思想史の中でニュートンを読んだりしますが、彼らはニュートンどころか10年前の論文を読む必要もありません。

だから、自分のやっていることが、地位全体、科学全体の中でどういう位置にあるかという位置づけもしないし、歴史の中でどういうところにいるのかということも意識しないまま、ただ研究しているだけです。

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