これは『不格好経営』の巻末の謝辞にも記されているエピソードだ。こうしたトラブルもあり、DeNAの大株主だったリクルートは株式の売却を決め、両社の関係は切れてしまう。その経緯は同書の本文で次のように描かれている。
ソニーの創業期に起きたこと
一方の三輪緑四郎さんである。緑四郎さんは早稲田大学理工学部を卒業後、1951年に興和に入社。その際に父親の三輪常治郎社長に命じられたのが、1946年の創業から、まだ日も浅い東京通信工業(東通工、現ソニー)に出向することだった。興和は東通工の株主でもあり、東通工の製造した測定器やテープレコーダーなどを販売する商社機能を担当していた。興和からは技術に明るい有能な若手社員、総勢20人ほどが出向していたという。そのリーダーが緑四郎さんだった。
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