少し歩くと、「サザエさん通り」として親しまれている商店街が顔を見せる。チェーン店と個人商店が入り交じり、ここにも多数の人が歩いている。
サザエさん目的の場合を除けば遠方からわざわざ訪れることは少なく、複数の商店街が連なるような大規模な商業集積ではない。だが、ほかの街まで出向かなくても生活は十分に便利そうだ。
田園都市線の三軒茶屋〜二子玉川間にあり、両駅に比べるとマイナーな桜新町。この街は、どのような歴史をたどってきたのだろうか。
江戸時代に開村、明治時代には玉電が走る
桜新町の歴史は、おおよそ370年前、4代将軍・徳川家綱の時代あたりまでさかのぼる。桜新町駅周辺はかつて「世田谷新町村」と呼ばれており、世田谷村の新しい開拓地だった。正保年間(1644〜1648年)よりもあとに開発され、万治年間(1658〜1661年)に開村したと考えられている。
時は流れ明治時代、1874(明治7)年時点で新町村の戸数は68戸だったが、1888(明治21)年になっても72戸とあまり増えず、小さな村だったようだ。街道沿いに開かれた村であったため短冊形に土地が分かれており、店はほとんどが大山街道沿いにあった。現在の桜新町駅前の通りだ。
1888(明治21)年には、「東京市区改正条例」が公布された。これにより道路や橋、河川の改修などが図られる。工事には大量の土砂が必要であった。そこで多摩川の砂利を東京市へ運ぶために、玉川電車敷設が計画された。
ところが、地元の反対などにより工事は凍結状態となってしまう。そんなとき、東京信託が玉川電気鉄道に多額の融資を行った。融資のおかげで工事が動き出し、1907(明治40)年3月から一部が開通し、同年8月に渋谷〜玉川の全線が開通した。
玉川電車は砂利を運ぶことから「ジャリ電」と呼ばれていた。やがて貨車のうしろに客車をつけて人を運ぶようになり、砂利輸送から旅客と貨物の輸送へと比重が変わっていった。現在の桜新町駅あたりには新町停留所が設けられ、玉川電車の開通によって店も増えはじめた。


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