では、なぜ熊谷氏は、ここまで自らの思いを語ったのだろうか。背景を考える手がかりは、本人が会見で語った半生にある。熊谷氏は、31年間、人生の半分をインターネットに捧げてきたという趣旨を述べ、安心できる産業にしてから退きたいとの決意を示した。本人にとっては、「お名前.comデスクトップクラウド」という、単体のサービスで起きた問題にとどまらない重さがあったと考えられる。
もっとも、熊谷氏の語る「31年」には異論もある。会見では、31年間「儲かる」「儲ける」という言葉を使ったことはないと述べたが、SNS上では、過去に夕刊フジで連載していたコラム『熊谷正寿の儲ける!儲かる!インターネット』などとの矛盾を指摘する声も上がっている。
GMOの歩みを振り返ると、1991年に始めたのは音声情報サービスの事業だった。熊谷氏のトップメッセージによれば、1994年に新聞記事でインターネットを知り、1995年12月にインターネット事業を始めたという。
インターネットを便利に使えるサービスにし、利用者を増やし、事業を広げていく。その仕事に本気で取り組んできたからこそ、自社の事業と、日本のネットの未来とを重ねて語ったのだろう。
つまり、会見での感情的な言葉の背景には、インターネットの可能性に賭けてきた半生と、それが揺らいだことへの無念さがあったのではないか。「自社への攻撃」というよりも、「日本のインターネットに対する宣戦布告」。そう結論づけた結果、自力で防ぎきれなかった無力感と、やり場のない怒りが、前面に出てしまったのではないか。
『一冊の手帳で夢は必ずかなう』著者の誤算
会見に「計画が狂った焦り」が表れたと考える理由には、熊谷氏の“持論”もある。夢を頭のなかにとどめず、手帳に書き、目標や日々の行動に落とし込む。未来を自分で描き、それを目に見える形で確かめながら、実現へ近づいていくという考え方だ。
2004年に刊行した『一冊の手帳で夢は必ずかなう』(かんき出版)では、スケジュールのみならず、人生そのものをマネジメントするための道具として、手帳を位置づけていた。さらに、著書で紹介した手帳術を、実際のシステム手帳として商品化もしている。熊谷氏自身、21歳で「35歳で会社を上場させる」という計画を立て、1年遅れの36歳で実現させていた。
つまり、夢を計画に変え、その実現へ向けて手を打ってきたのだ。しかし今回、その計画は外的要因で意図せず狂い、自力ではなすすべがない。ネットに捧げた31年に生じた、想定外の“誤算”である。会見に表れたのは、その焦りだったのだろう。


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