しかし、それは謝罪会見における姿勢として、適切だったとは言いがたい。半生を賭けてきた事業への思いがどれほど強くても、人々がまず求めるのは「経緯説明と、利用者に対する誠実な対応」だ。
たしかに会見には、それらの要素も含まれていた。だが、“パワーワード”を連発してしまったことで、相対的に希薄化してしまった。視聴者の受け止めが「経営者の無念さをわかってもらおうとしている」になってしまえば、求められていた会見ニーズと、大きな食い違いが生じる。
SNS上では今回の会見について、「熊谷氏の言動に焦点を当てさせることで、流出事案そのものへの注目を霞ませた」といった評価も出ている。しかし、本人にそこまでの計算があったようには見えない。むしろ、自分の経営哲学が揺らいだ不条理さを嘆いていたように映った。
「感情ドリブン型経営」とワンマン体制の危うさ
ただ、先が読めず、計画に向かないのが、インターネットなどデジタルの世界である。会見で熊谷氏も触れていたが、生成AIはそのわかりやすい例だろう。ChatGPTが一般公開されたのは2022年11月のことだ。それから、たった4年で、仕事や生活のなかにグイグイと食い込んでいる。
技術の変化に、社会はどのように順応していくか。それに合わせて適宜チューニングしていける適応力が、IT業界には求められる。そうした世界で、自分の「夢」や「信念」を経営の中心に据えるだけでは、現実の変化に追いつけない場面もある。
“思い”を原動力にする熊谷氏の姿勢は、言うなれば「感情ドリブン型経営」だ。たしかにそれが効果を発揮する時期もあるが、これだけの大企業になった現状、思いだけで突っ走るのには限界がある。
会見後には、週刊文春などが、会社資金の使い道や、被害公表当日の夜に熊谷氏がパーティーに参加していたことを報じ、ワンマン体制への批判も広がっている。報道の真偽は今後の説明を待つ必要があるが、トップの“思い”が会社を動かす体制では、その思いが暴走したときに止める者がいない。
そのひずみが表面化したのが、今回の会見だったのだろう。人々が求めていたのは「新たな脅威に対する具体的な対応」だったにもかかわらず、語られたのは「ネットへの抽象的な熱意」だった。このすれ違いが埋まらない限り、信頼回復はほど遠い。


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