「は?日本の将来?本気で言ってるの?って思いました。そんなことが自分に課せられているなんて、考えもしなかったんです。東大の学生だからって、ちょっと背負いすぎじゃない?どちらかといえば、お金を稼ぎたい人ばっかり来てるものだと思っていたので」
Iさんがその違和感を伝えると、友人はこう答えた。
「ノブレス・オブリージュってやつだよ」
ノブレス・オブリージュは、もともと貴族にはその身分にふさわしい振る舞いが求められる、という意味のフランス語だ。今では広く、社会的に恵まれた立場にいる人は、その立場を生かして社会に尽くす責任も負う、という考え方を指す。友人は、東大で学ぶ機会を得た自分たちも、その責任を負う側だと考えていた。友人の言う「我々」には、話を聞いているIさんも入っていたのだ。
「そういう言葉があるのは知っていたんですけど、僕にも当てはまるのか、そんなことは考えたこともなかった、と思ったんですよね」
教育支援の場で感じた“当たり前”の違い
その頃、当時の交際相手とのつながりもあり、ゼミやサークルを通じた教育支援の活動に参加する機会があった。Iさん自身の経験では、大学にはそうした活動に触れる場がいくつもあったという。
その一つで、地方の学校を訪れた。学力面で課題を抱える生徒もいて、大学進学が全員の進路になっているわけではない学校だった。そこでIさんは、戸惑った。勉強を教えようとしても、思うようには始まらない。ノートを開いて話を聞いてくれるとは限らなかった。
「東大生が勉強を教えに来ているんだから、もっとノートを開いて、こっちに意識を向けてくれてもいいのに、と思ったんです」
だが、一緒に来ていた友人は、驚いた様子もなく生徒たちと会話をしていた。まず勉強する態度を取るよう求めるのではなく、その場で話をしている。
「友達は、当たり前みたいな顔で生徒と話していたんですよ。それを見て、あ、この場所では、こういう反応のほうが普通なのか、と思いました」
自分が当たり前だと思っていた反応が、この教室でも当然に返ってくるわけではなかった。


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