忘れてならないのは、今はマジョリティーに属している人であっても、いつマイノリティーやその関係者になるかわからないということです。
ある日、事故に遭い、障がい者になるかもしれません。将来生まれてくる子どもがLGBTQ(性的少数者)かもしれません。これはあまり想像したくないことですが、日本が戦争に巻き込まれ、自らが難民になるかもしれません。「自分は一切関係がない」とは言い切れないのです。
『茶色の朝』の教訓
筆者はもう1つ、『茶色の朝』(フランク・パヴロフ、ヴィンセント・ギャロ・絵、藤本一勇訳、高橋哲哉・メッセージ、大月書店、03年)という本が好きです。
この本はフランスでベストセラーになりました。ある日、政府から「茶色のペット以外は飼ってはいけません」と言われます。主人公はそのことを疑問に思うものの、結局は「白いペットにこだわりはないのだから、茶色いペットでもいいや」と考えます。
しかし、やがて茶色以外の色のペットを飼っている人は処罰の対象となってしまいます。
それでもまだ「自分は茶色のペットを飼っているから大丈夫」と思っていました。ところが安心していた矢先に「茶色以外の色をしたペットを『過去に』飼っていた人は粛清の対象とする」という政府の決定を聞かされます。
ここでようやく主人公は「最初に『茶色のペット以外は不可』と政府に言われたときに、きちんと抗議しておけばよかった」と後悔します。
この物語の意味するところは「自分に関係ないことだから」という理由で、自分が生きる社会において他者に向けられたさまざまな理不尽に目をつむっていると、多様性のない社会を作ることに加担してしまい、結局は自分に跳ね返ってくるということです。
健康ではない人は差別されても仕方ない、LGBTQの人が同じ権利を求めるのはおかしい、外国人は日本人ではないのだから日本において差別をされても仕方ない――。残念ながらそういう声を聞くことがあります。
そんなとき「確かに仕方のないことだ」と同意してしまうと、いつの日か恐ろしい展開になってしまうかもしれません。



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