何かと家族に高圧的だった父がいなくなったことで、千代の弟や妹たちは、ほかの子どもたちと同じように、自由に外へと遊びに行けるようになった。
母もまた洗濯や台所仕事の際に歌を歌うようになり、千代は母に連れられて、浪花節を聴きに行ったことも。この経験が千代にとって思わぬ財産となったらしい。
「三味線に合わせ、扇子を叩いて調子をとりながら、あの、『あっ』とか、『はっ』とか言う金切り声の合いの手を聞くと、私は魂も裂けるような気がしたのであった。いまになって考えると、これが私の、芸術というものに対する、もっとも初歩的な開眼、なのではなかったか、と言う気がするのであった」
この頃、千代は女学校の同級生たちと「海潮音」という名の同人誌を発行。女学校卒業後にも、仲間たちとともに回覧文芸誌「海鳥」を発行する。にわかに芽吹いた千代の芸術への関心は、文学のジャンルで発揮されることになる。
千代のもとで劣等生も学力伸びる
「作家とは人に残された最後の職業である」
そう言ったのは、先日亡くなった作家の村上龍だが(『13歳のハローワーク』)、作家として名を成す人物たちの大半が、いきなり作家になったわけではなく、別の職業を経験している。千代も例外ではなく、女学校を出てから、教師の職についた。
師範学校を出たわけではないので、代用教員としての採用だったが、初月給を手にしたときは感慨深かったようだ。「私にとっては生まれて始めての、自分の仕事の報酬として、受け取った金であった。そのときの感動は、いまも忘れない」と振り返っている。
多くの人が電車で通う道のりを、歩いて通っていた千代は、初月給をそのまま母に渡した。母は「ありゃ、こんとに、みな、わしが貰うてもええかいの」と涙したという。
教師の仕事は千代に思いのほか向いていたらしい。千代は新人ということもあってか、尋常2年生のうち、勉強が得意でないほうの組を任されることになったが、大げさに褒めることで、生徒たちは学力を伸ばしたようだ。
「昨日までは出来なかった子供が、今日は出来た。私はほんとうに吃驚し、思わず口に出して褒めたのであるが、そのとき、子供の面上に走った歓喜の表情を、私はいまも忘れない。子供であればあるほど、褒められることが嬉しいのである」
幼い頃から弟や妹たちの面倒を見ながら、一緒に暮らしたことで、知らず知らずのうちに「ものを教える」ということが得意になっていたのだろう。


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