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ライフ #廃墟モールの経済学

「東急が造った街」から東急ストアが消えた…埼玉のニュータウンにある"寂れた商業施設"が物語る日本の深刻な問題

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埼玉県のニュータウンにあるショッピングセンターとは?
埼玉県のニュータウンにあるショッピングセンターとは?(写真:筆者撮影)
  • 坪川 うた ショッピングセンター研究家・ライター
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朝採れファームや米屋、ベーカリー、クリニック、ダンススクールなどが軒を連ね、地元住民と思しき人々がいる。中央の広場で高齢の女性が話に花を咲かせており、ローカル感あふれるショッピングセンターだ。

朝採れファームが営業している(写真:筆者撮影)
コの字に店舗が配置され、中央に広場がある(写真:筆者撮影)

来店客の大半を高齢者が占め、シャッターを下ろした店舗もやや目立つ。完全な廃墟モールではないが、にぎわっているとも言い難い。

ところどころにシャッターが目立つ(写真:筆者撮影)

実はこの「こま武蔵台ショッピングセンター」、寂れたビジュアルから想像しづらいが、あの東急不動産が開発した。にもかかわらず、なぜ衰退してしまったのだろうか。

高麗丘陵に東急不動産が開発したニュータウン

「こま武蔵台ショッピングセンター」のあるこま武蔵台は、埼玉県入間郡日高町(現・日高市)の高麗丘陵に東急不動産が開発したニュータウンである。武蔵野の面影を残した自然豊かな地域であることから、「こま武蔵台」と名付けられた。

1977(昭和52)年から住宅の販売がはじまり、1981(昭和56)年3月時点で1330戸が販売された。当時の新聞広告を見ると、武蔵野の面影を残す自然豊かな地であることが謳われている。

ニュータウン内に幼稚園、クリニック、銀行、公園、小学校などの生活施設が計画され、「こま武蔵台ショッピングセンター」もそのひとつとして設けられた。

「こま武蔵台ショッピングセンター」の向かいにも公園がある(写真:筆者撮影)

「こま武蔵台ショッピングセンター」ではまず1977(昭和52)年6月ごろ、魚屋、肉屋、八百屋、パン屋の4店舗がオープンした。この頃の新聞広告では、「賑わう団地内ショッピングセンター(魚屋・肉屋・八百屋・パン屋)」とアピールされている。(『読売新聞』1977年8月5日)

その後、米屋、酒店、電気屋の3店舗が増え、1978(昭和53)年4月にはスーパーの東急ストアがオープン。ほぼ同時期に、個店も10店舗加わった。

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