つまり「隠すべきか」という問いは、その場にいる人たちが共有する期待に、見た目をどう合わせるかという問いだと言える。その人の人格を裁く問いではない。そして、その「期待」が人によって違う以上、双方が「自分の期待が普通」と信じて譲らなければ、議論はかみ合わない。
「子どもを守るため」の善意が、子どもに線を引く
ネット上では、親のタトゥーが子どもにおよぼす影響を考えるべきだという声のほか、「子どもさんがどんなにいい子でも距離を置かれる可能性があることはご承知くださいね」といった、心ない声もあった。
自分の子どもを守りたい気持ちは自然なものだ。ただ、ここに1つの逆説がある。
「自分の子を守るために、タトゥーが入った親の子どもとは距離を置く」という判断は、親の見た目だけで、落ち度のない子どもを「線の向こう側」に置くことになる。つまり、差別や偏見を正当化するということだ。
心理学には、立場の違う人同士が実際に接する機会を持つと、偏見が減りやすいという考え方がある。500を超える研究をまとめた分析でも、接触は多くの種類の偏見を一般に減らすことが確かめられている。理由の1つは、接することで相手への不安が下がることだという(※5)。
もちろん、これはタトゥーのある親子を対象にした研究ではなく、筆者の仮説ではあるが、子どもを近づけないという選択は、こうした「接する機会」を減らし、見慣れなさや不安をそのまま残してしまうのかもしれない。


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