それでも、辞めようとは思わなかった。任された仕事のなかで自分にできることを探し、そこに付加価値をつけた。文献を調べ、MRが医師に説明しやすい資料を作る。医師や卸の担当者とも関係を築いた。
「決して表舞台には立てない仕事でしたが、『奥村さんに頼んでよかった』と思ってもらえるように、自分のできることを最大限やったんです」
切り開くのは「自分」
その積み重ねが認められ、奥村さんは神戸支店の学術課長に昇進した。だが、会社の合併に伴い管理職から外れ、その後も異動が続いた。
第一三共本社のマーケティング部門では、念願だった循環器製品のプロダクトマネジャーを任された。ところが、わずか1年半で、別会社への移管が決まっている製品の担当を命じられた。
理由を尋ねると、「後処理をするのは男がするような仕事じゃないからな」と言われた。机をたたいて席を立ったことを、奥村さんは今も覚えている。
それでも、新しい担当ポジションで腎臓や糖尿病に関わる医療関係者との人脈を広げた。希望しない異動であっても、そこで得た経験や出会いを、次の仕事につなげてきた。
「異動にはすべて意味があったんです。そこから自分の人生を切り開けるか。切り開くのは自分しかないから、よくも悪くもなる。皆さんには、そう言いたいんです」
奥村さんは54歳で支店長に就き、約200人のスタッフを率いた。周囲から「女性だから下駄を履かせてもらった」と見られることもあったという。
「私が女性だから選ばれたのではなく、一人の仕事人として選ばれたということを実証したかったんです」

