そもそも「天の御舎」が建てられたという「出雲国の多芸志の小浜」は、現在の島根県出雲市武志町付近のこととするのが通説なのだが(古代には、現在の出雲平野に広がる潟湖の浜辺にあたっていたとみられる)、そこは出雲大社の社地から南東に10キロも離れている。
そのため、ここに大社の原形が建てられたとみることには無理があり、三浦氏の説に従って、ここに建てられたのは「迎賓館」だと考えたほうがすっきりする。こうしたことを踏まえれば、『古事記』神話では、出雲大社が造営されたかどうかは明記されていないとみるのが妥当だろう。
一方『日本書紀』では、国譲りを渋るオオクニヌシが天つ神から「おまえが住むべき天日隅宮(あまのひすみのみや)を、今造営してやろう」と言われる場面があり(神代下・第九段一書第二)、ここに出てくる「天日隅宮」が出雲大社をさすとみられているのだが、その後、実際にそれが建造されたかどうかについては書かれていない。
いずれにしろ神話なので、「事実(史実)」を細かく詮索するのは野暮だろうが、ともかくここでは、「記紀神話の中では、出雲大社造営の由来(本縁)は語られているが、大社が実際に建造されたかどうかははっきり書かれておらず、曖昧になっている」という点をおさえておきたい。
垂仁天皇の皇子ホムチワケの出雲参拝譚
では、出雲大社はいつ建造されたのだろうか。あるいは、いつから存在していたのか。神話から離れると、その問題を探るうえで手がかりとなる記述を見出すことができる。
それは、『古事記』の第十一代垂仁天皇の章の中に置かれた皇子ホムチワケ(本牟智和気御子)の出雲参拝譚で、以下はその要約である。
〈師木玉垣宮(しきのたまがきのみや/奈良の纒向遺跡の周辺か)に宮居した垂仁天皇が、生まれつきものが言えない皇子のホムチワケのことを心配していると、夢にお告げがあった。
「私の宮を天皇の宮殿とならぶように修理してくれるならば、皇子は必ずものを言うだろう」


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