「道路部長を除く幹部がみんなそろっていた。ある意味、奇跡で、防災組織として幸運だったんですよ」
国土交通省の出先機関、東北地方整備局の防災課長として東日本大震災の対応に当たった熊谷順子は、そう振り返る。
2011年3月11日。東北地方整備局長(当時)で、後に国土交通事務次官となる徳山日出男は、着任から53日目に大震災に直面した。
その約50日間の多くを、徳山はあいさつ回りに費やしていた。管内に数多くある出先事務所だけでなく、東北各県の知事、市町村長、そしてメディアにも足を運んだ。
徳山は言う。
「地方紙や専門紙、テレビ。それまでの整備局はあまり熱心じゃなかったが、広報は大事だと思っていたから、できるだけ回った」
出張が多かったこともあり、徳山が整備局内の災害対策室(災対室)に入ったのは、震災当日が初めてだった。災対室を管理していた熊谷は、「いくら局長が忙しかったとはいえ、事前に案内できなかったのは、私のミスだった」と口にする。
2人の副局長や8人の部長ら、東北地方整備局のほかの幹部も、管内を回る出張が多かった。仙台にある庁舎にいることは、普段から少ない。ところが震災が起きた日は、道路部長を除く幹部全員が庁舎にそろっていた。
熊谷が明かす。
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