もちろん、彼女たちにはさまざまな背景があり、集団生活における葛藤も少なくなかっただろう。施設育ちだからこそ制限されることも多く、苦しんだ時間は計り知れなかったはずだ。
だが、少なくとも食事だけは恵まれていたのだ。筆者は児童相談所で保護されないラインの被虐待児だったが、食事に関しては確実に施設の子どもの方が恵まれていたなと何度も感じさせられた。
なぜなら、筆者はこの仕事に就いてから初めて食べた食べ物が大量にあるのだ。たらこスパゲッティー、回鍋肉、ホッケ、ピカタ、ポークケチャップ……数え上げればきりがないほどである。それだけに、児童養護施設で暮らす一方、食に恵まれて育つ子どもたちが微笑ましくもうらやましかった。
給食は家庭に恵まれなかった子どもたちのセーフティネット
なお、学校給食と言っても、小学生か中学生か、あるいは学年によって求められる栄養は異なってくる。写真の印象だけで語るのは適切ではないのも事実だ。食中毒を防ぐために十分に加熱をした結果、どうしてもボリュームが減りやすい。また、大事なのは見栄えではなく、栄養面だという指摘もごもっともだ。「学校給食摂取基準」をクリアしていれば、少なくとも栄養面では一定の水準を満たしていると言える。
その一方で、「お腹いっぱいになれるか?」はまた別の問題であるし、さらに、豊かな食事が精神的に良い影響を与えるのも間違いない。とくに、家庭に恵まれない子にとっては「その日唯一の食事」になりうることも、様々な家庭の子どもが通う公立学校では考えていくべきことだろう。
「食事」は、どんな子どもにも平等に与えられるべき権利だと思う。どんな立場の子どもであっても、お腹いっぱいご飯を食べられるべきであり、そのために我々大人たちはなけなしの稼ぎから軽くない税金を払っているはず。給食が食のセーフティネットとして機能し続けていれば、ひとりでも多くのかつての筆者のような子どもたちが救われるはずだ。
食の貧困は目に見えづらく、イメージ通りとは限らない。どうかすべての子どもがお腹いっぱいになれるほど、恵まれていると言われるほど充実した給食を食べられるのが当然であってほしいと願わざるを得ない。


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