しかも、この『アテナイ人の国制』でさえ、長いあいだ「失われた書物」でした。
転機が訪れたのは1890年です。
大英博物館がエジプトで入手した複数のパピルスのなかから、『アテナイ人の国制』のほぼ全文が見つかりました。翌1891年、古典学者フレデリック・ケニオンによって刊行され、失われていた内容が広く知られるようになります。
さらに面白いのは、このパピルスの使われ方です。
農場の会計簿の裏から現れた『アテナイ人の国制』
大英図書館の所蔵記録によれば、パピルスの表側には紀元78〜79年ごろの農場の会計記録が書かれ、その裏側に紀元100年ごろ、『アテナイ人の国制』が書き写されていました。古代の「裏紙」のようなものだったわけです。
紀元前4世紀に成立した政治学の重要文献が、約400年後に農場会計の裏へ書き写され、さらに約1800年を経て近代の研究者の手に渡った。
そんな偶然の連鎖によって、いま僕たちは古代アテネの政治制度を詳しく知ることができています。
もちろん、このパピルスが発見されるまで、アルコンや陶片追放、クレイステネスの改革がまったく知られていなかったわけではありません。ヘロドトスやトゥキュディデスなど、別の史料にも記述はありました。
しかし『アテナイ人の国制』によって、制度の変遷や実際の運用について、ほかでは得られない情報が数多く加わりました。断片的だった知識を、一つの流れとして捉え直せるようになったのです。
つまり、教科書に載っているアテネ史の記述は、古代からずっと同じ形で伝わってきたわけではありません。
わずか135年ほど前に現れた一つのパピルスによって、その解像度が一気に上がったのです。


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