ここまで来ると、最初の疑問に対する答えが見えてきます。
「なぜ、教科書ではアテネとスパルタばかり扱うのか?」
それは、この2つが古代ギリシア史の中心的な強国だったからです。そして、対照的な社会として説明しやすいからでもあります。
ただし、それだけではありません。
何より、現代の僕たちが比較的詳しく語れる史料が、この2つ、特にアテネに偏って残っているからです。
ほかのポリスについて何もわからないわけではありません。考古学的な発掘や碑文の研究によって、以前より多くのことが明らかになっています。
それでも、すべてのポリスを同じ解像度で描くことはできません。
教科書は過去をそのまま写した「写真」ではなく、残された断片をもとに描かれた「地図」なのです。細い道まで描かれている地域もあれば、輪郭しかわからない地域もあります。
教科書の記述量の差は、必ずしも当時の重要度の差だけではありません。
僕たちが現在、どこまで見ることができているかの差でもあるのです。
この話は、日本史にもつながります。有名なのが、鎌倉幕府の成立年をめぐる議論です。
「1192年か1185年か」と同じ問題
かつては「イイクニつくろう鎌倉幕府」という語呂合わせで、1192年と覚えるのが一般的でした。源頼朝が征夷大将軍に任命された年です。
その後、全国に守護・地頭を置く権限を得た1185年を重視する説明が広まり、「鎌倉幕府の成立は1185年に変わった」と言われるようになりました。
しかし、実際の議論は「1192年を1185年に置き換えれば終わり」というほど単純ではありません。


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