そして3つ目が、今回もっとも注目したい理由です。
それは、残っている史料に大きな偏りがあることです。
歴史というと、「昔起きた出来事を順番に並べたもの」のように感じます。
しかし、歴史家が直接、過去を見ることはできません。
見ることができるのは、過去の人々が残した文書や碑文、遺跡、貨幣、土器などの「痕跡」だけです。しかも、それらが公平に残るわけではありません。
燃えたものもあれば、腐ったものもある。戦争で破壊されたものもあれば、誰にも読まれなくなって捨てられたものもあります。
過去は、すべて同じ濃さでは見えない
古代ギリシア史は、最初から大きなハンディキャップを抱えています。
紀元前12世紀ごろにミケーネ文明が崩壊すると、それまで使われていた線文字Bも姿を消しました。その後、紀元前8世紀ごろにギリシア文字が普及するまで、同時代の文字史料がきわめて乏しい時期が続きます。
文字が再び使われるようになったあとも、史料の残り方は均等ではありません。
とりわけアテネには、歴史書、演説、哲学書、演劇、政治文書、碑文など、膨大な史料が残りました。
古代ギリシア史の研究が「アテネ中心」になりやすいのは、アテネが重要だったからだけでなく、アテネについて語る材料が圧倒的に多いからでもあります。
一方、スパルタについては少し事情が違います。
スパルタ自身が残した史料は比較的少なく、現在の僕たちが知っているスパルタ像の多くは、ヘロドトスやトゥキュディデス、クセノフォン、プルタルコスといった、主にスパルタの外側にいた人々の記述に依存しています。
しかも彼らは、スパルタを恐ろしい敵として描いたり、理想的な国家として称賛したりしました。そのため、後世につくられたスパルタ像と実態を区別するのが難しい。この問題は「スパルタの幻影」と呼ばれるほどです。


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