それは逆に言えば、現在のような関係性のあり方のままではまずいし、「ハッピー」でもないということを人々が薄々(かなり)感じ始めている、というのが現在の日本なのである。先ほど「過渡期」と述べたのはこの点を指している。
希望的観測を込めて言えば、「都市型コミュニティ」的な関係性への萌芽はすでに様々なところで出始めているだろう。
単純な例で言えば、終身雇用的なカイシャは減りつつあり、人がライフコースの中で転職や起業等を経験することは以前に比べかなり普通のことになっている。
寄付のような、先ほど見た「幸福度」の規定要因の一つである「寛容性=自分が属する集団の外にいる者への支援」に関する行動や関心も広がっている(たとえば災害時のボランティア活動の高まりなど)。
「無言社会」を変える小さな一歩
また、日本においては「見知らぬ他者」とのコミュニケーションが非常に少ないという点を指摘した。
これに関しては、(すでに拙著の中で述べたことのある話だが)私は昨年までの9年間、東京と京都の間をほぼ毎週、新幹線で往復していたが、その時期の間に、自分の席を後ろに倒すときに「下げてもいいですか」と聞いてくる人が明らかに増えているのを印象深く思っていた。
ごくささいな、取るに足りない事柄とも言えるが、こうした日常的なレベルでの小さな行動変化が、少しずつではあるが生じているように見える。
ただしそれでもなお上述のような「無言社会」的な状況は非常に根強く、(“歩きスマホ”を含めて)むしろ悪化しているようにも感じられる。私自身としてもどのような“突破口”を作っていけるか、なお模索中である。読者の方々はどう思われるだろうか。
いずれにしても、本稿で述べてきたように「都市型コミュニティ」の発展に向けた対応を様々なレベルで進めていくことが、「幸福度」そして経済パフォーマンスを含め、日本社会の状況の改善に大きなプラスとして作用すると考えられるのである。


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