この3つの沼を活かして、発電所は2段階に分けて設けられた。まず上流の菅沼から丸沼へ水を落として丸沼発電所で発電する。その水は大尻沼でいったん受け止められ、そこから取水して下流の一之瀬発電所へ送られ、再び発電に使われる仕組みだ。山の中に水路を掘り進めるにも地形的限界があるため、ある程度の落差が取れたところで一度発電所を作り、また水路を掘って次の発電所を作る――というのが、山あいの水力発電では一般的な手法だという。丸沼自体も、かつてはもっと小さな沼だったが、堤を築いて水位を上げることで、貯水量とともに湖の広さも今の姿になったのだという。上毛電力はこの3つの沼を一体で活用する貯水工事の一環として、丸沼ダムの建設に着手した。
その後、1941年(昭和16年)、太平洋戦争中の国家による電力統制策に伴い、管理は日本発送電株式会社に引き継がれた。さらに1951年(昭和26年)の戦後の電気事業再編成を経て東京電力株式会社に移管され、現在は東京電力リニューアブルパワーが所有・管理する形に落ち着いた。
耐震理論と、人力による難工事
丸沼ダムの基本設計を担ったのは、内務省土木試験所長と東京帝国大学教授を兼務し、地震国・日本にふさわしいコンクリート構造物の耐震設計理論を確立した物部長穂(もののべ ながほ)だ。多目的ダムの理論を考案したことでも知られるこの人物の耐震理論は、岡山県の恩原ダムや富山県の真川ダムなど、他のバットレスダムの設計にも注ぎ込まれている。
内部に足を踏み入れると、扶壁と扶壁の間を、何層にもわたった水平な梁が結んでいる。地震の横揺れを一枚の壁だけで受け止めるのではなく、この水平材でバットレス同士をつなぎ、力を両岸の岩盤まで一直線に伝えて逃がす――それが物部の理論の骨子だった。見上げると、通路のように張り巡らされたその構造が、理論をそのまま体現している。


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