その結果として、バットレスダムは全国でわずか8基しか築かれなかった。そのうち1924年竣工の新潟県の高野山ダムは1971年、下流の中津川第一発電所の増設に合わせて調整池を拡張する必要に迫られ、バットレス構造の堤体そのものを撤去。アスファルトで遮水するロックフィルダムへと姿を変えた。ほかにも1基が姿を消し、現存するのは6基のみとなった。
全国でわずか0.2%ほどにすぎない希少なバットレスダムの中でも、最大規模とされる丸沼ダムは、大きな事故や意匠を変えるような改修を経ることなく、90年以上建築当初の姿のまま残っている。その理由を、丸沼ダム自体の歴史から見ていきたい。
電力需要の高まりと恵まれた地形
丸沼ダムが着工したのは1928年(昭和3年)。建設したのは、当時の地元の電力会社だった上毛電力株式会社だ。目的は水力発電用の水源確保だった。大正末期から昭和初期にかけては、電力需要の高まりや技術の普及などを背景に、日本各地で大規模な水力発電所が相次いで建設された時期だった。
丸沼ダムの建設地には、地形的に好都合な条件がそろっていた。上流から菅沼・丸沼・大尻沼という順に、いずれも日光白根山の噴火による溶岩流が川をせき止めてできた自然湖が連なっている。ゼロから貯水池を掘る必要はなく、この自然の地形を巧みに利用する形で、丸沼と大尻沼の間に狭まった場所にダムを築けば、効率よく貯水量を増やせる。


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