「私の力不足を含め、責任を痛感している。ご期待いただいた、ご支援いただいた皆さまに、この場を借りて深くお詫び申し上げ、そのお気持ちに今後、別の形、新たな形でしっかりお応えしていく所存です」
9月9日に臨時の常任幹事会を開き、解散することを決定した中道改革連合。同党の小川淳也代表は同日午後、国会内で会見を開き、こう述べた。今後、立憲民主党系の議員は新党を結成し、公明党系の議員は参院公明党と合流することになる。
今年1月に衆議院の立憲民主党と公明党の合流で結成された中道は、12月末をもってその短い歴史を閉じることになった。「中道勢力の結集」を旗印に自民党にとって代わる勢力を目指したにもかかわらず、なぜその夢を実現できなかったのか。
中道結成が公明党に残した傷跡
「9月1日付で、公明党本部から中道へ5人の職員の異動が決まっていた。また25日には中道の秘書会が発足することにもなっていた。これから頑張ろうと思っていたところだったのに……」。公明系議員の秘書は嘆息を漏らした。
約60年の歴史のある「公明党」の名前を捨て、不退転の決意で臨んだ新党結成。2月の衆院選では比例ブロックで28人が当選したものの、小選挙区から撤退した傷跡は小さくない。「いったん手放した以上、小選挙区で再び候補を擁立することは非常に困難になるだろう」と、前出の議員秘書はつぶやいた。
公明党は過去2回、他党と組んだことがある。1度目は1994年12月の新進党結成で、もう1つは99年10月の自公連立だ。


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