しかし、95年12月の代表選で小沢氏が勝利した後、新進党は分裂に進んでいく。96年10月の衆院選では、民主党というライバルも出現。参議院で統一会派「平成会」を組んでいた公明からは98年の参院選改選組である浜四津敏子氏、山下栄一氏と横尾和伸氏が新進党に移籍したが、全体的な公明の新進党への合流は見送られた。
そして、97年末には参院選比例区を公明独自で戦うことを決定し、新進党の分裂が加速化。このとき、権藤恒夫氏や二見伸明氏、東祥三氏らが小沢氏の元にとどまった。
それでも98年11月には、公明と新党平和が合流し、再び公明党を結党。99年10月には自公連立が成立した。それ以降、自公連立は民主党政権の3年3カ月を除き、高市早苗総裁が誕生する2025年10月まで日本の政治の中心を占めた。
両党の関係は当初、個別的な選挙協力にとどまっていたが、03年11月の衆院選から連携は深まった。同年9月に民主党と自由党が合流し、衆議院137・参議院67の計204という勢力が誕生。これに抗するために、自民党は小選挙区で創価票に頼ることになった。その結果、一部を除いて比例区での公明党への投票とのバーター関係が成立。このWIN-WINの関係は、およそ四半世紀も続くことになった。
三障四魔をどう乗り越える?
そして現在、中道という失敗を経て、公明党は再スタートを切ることになった。衆議院では立憲系の新党と統一会派を結成する予定だが、次の衆院選では野党として独自の戦いを強いられる。
公明党と同じく組織政党である共産党は、ほかの政党と組むことなく選挙を戦っている。だが、03年の衆院選で獲得議席数が36年ぶりに1桁になって以降は、アベノミクス批判などで反自民票を集めることに成功した14年の衆院選以外は振るわず、今年の衆院選ではとうとう4議席まで落ち込んだ。主な原因は高齢化による支持者の減少だが、公明党も同じ悩みを抱えている。
加えて、20年に発生したコロナ禍のため、直接面会して支援を求めるという公明党の選挙応援の方法が変容せざるをえなくなった。それでも、山口那津男氏が代表を務めていた期間はまだ活動を維持できていたが、24年の衆院選で公明党が獲得した比例票は596万4415票と、とうとう600万票を割り込んだ。
衆議院撤退論もささやかれる今、公明党関係者は「とりあえず、国政よりも来年の統一地方選だ」と打ち明ける。昨年12月31日時点の総務省の調査では、公明党の県議会議員数は203人と、1267人の自民党や230人の立憲民主党に及ばないものの、市町村議会議員数では公明党は2639人と、2093人の共産党や2045人の自民党を上回る。
日蓮大聖人は1277年11月20日、弟子の池上宗長に「必ず三障四魔と申す障りいできたれば、賢者はよろこび愚者は退く、これなり」としたためた。公明系が9日夜に行った地方議員を交えたオンライン会議は大いに白熱したと聞くが、この三障四魔をどう乗り越えていくのか。


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