高校に入るとアルバイトを始めた。
「僕の“現金とっぱらい人生”はここから始まっています」
遊園地で自転車やボートを貸し出し、日給5000~6000円を現金で受け取った。高校卒業後は、就職率の高さから短大へ進学。入学後は授業より、パチンコ店のアルバイトにのめり込んだ。周りには留年した友人もいたが、川口はなんとか卒業した。
就職先に選んだのは、アルバイトで慣れ親しんだパチンコ業界だった。短大卒業間近に急激に店舗数を増やしていた大手パチンコチェーンの求人を見つけた。2003年、就職氷河期の真っただ中、川口はパチンコ業界に漕ぎ出していく。
「新卒の初任給は手取り約21万円でした。悪くはなかったです。会社は急成長中で、入社半年ほどで班長になりました。でも、労働時間は長かったです。夕方4時に出勤して、深夜2時に帰れればいいほうでした。朝4時まで働くこともあったし、ひどいときは朝8時までいました」
会社も新店舗をどんどん出し、店舗のリニューアルも行われた。新店舗ができると異動もある。入社時は全体で50店舗ほどだったが、数年で100店舗以上になった。就職が決まらない同世代がいる中、川口の給料は上がっていった。
「24歳で、残業代も含めると30万円以上もらっていました。1日12時間以上働くことも普通でした。僕は仕事をしていると、それ以外のことができなくなる人間です。部屋を片づける時間があるなら、働いちゃうので部屋はぐちゃぐちゃでした」
そんな生活のなか、同じ店舗で働いていた女性と付き合い、25歳で結婚。子どもにも恵まれた。
家族3人のアパート暮らしだが、若くして手取りは30万円以上、正社員。同世代としては順調だった。
転職先から言われた「今は来ないでほしい」
仕事で住むことになった都内のある地域を、川口は気に入った。
「都心にも出やすく、子育てもしやすい。ずっとこの辺に住みたいと思いました」
近くにマンションが建つらしいと聞いて、住宅ローン審査に申し込むと通ってしまった。パチンコ店の給与の高さもあり、26歳という若さでマンションを購入。順風満帆だった。
店舗の異動はあったが、住宅ローンを返しながら妻子を養う生活は、10年以上続いた。転機が訪れたのは、2020年のコロナ禍だ。パチンコ店は窮地に追い込まれる。


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