──高野連をどのような組織と捉えていますか。
高野連の歴史からは、一貫して高校野球の存続のため腐心してきた組織であることが見えてくる。
夏の甲子園の前身となる全国中等学校優勝野球大会は、1915年に始まった。32年には野球統制令で厳しい制約が課されたが、当時の野球関係者は、学生野球を権益に組み入れようとする官僚的野心への不信感を強めたという。
そうした経緯もあり、戦後、日本高野連の実質的なファウンダーである佐伯達夫らは高野連を独立組織とすることにこだわった。彼らは、文部省(当時)の息のかかった全国高等学校体育連盟(高体連)の傘下に入ることを拒んでいる。
──権威や権益の構造に取り込まれることを拒んだ高野連が、なぜ「権威主義的な守旧派」とみられるようになったのでしょうか。
端的に言えば、アピール下手だからだ。近年は特に、マスメディアを介した情報発信に問題がある。
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