現地で聞いた、複数の教師による担当、異なる勤務日、定例会議を減らして必要な人同士で頻繁に話すこと、休憩時の別スタッフによる対応。最初はバラバラの「オランダの珍しい学校運営」に見えたが、制度まで調べると、「学校として必要な仕事を、限られた人員と時間の中でどう配置するか」という発想がその根底にあるように私には見えてきた。
オランダも「教師の楽園」ではない
もちろん、オランダも教師の楽園ではない。25年10月時点の推計では、初等教育の教師不足は6.3%(オランダ教育・文化・科学省「OCW in cijfers」)。学校管理職の不足も続いている。教育監督当局も、事務負担や仕事の圧力を問題視している。短時間勤務が広く存在するからといって、すべてが解決しているわけではない。だから、日本がそのまま「週4日勤務」を輸入すればよいという話でもない。
ただ、日本の学校は「仕事が先、人が後」になっていないか。今回の視察を経て、私は日本の学校を見る時、その1つ手前の問いを意識するようになった。
新しい仕事が加わると、「どう効率化するか」「誰が担当するか」「どこに時間をつくるか」と考えがちだ。しかし、その前に、「この学校がやろうとしている仕事の総量は、この人員と勤務時間で実行可能なのか」という問いがある。
ここを飛ばしたまま効率化だけを進めれば、1つの仕事を早く終わらせても、空いた場所にまた別の仕事が入る。仕事の総量は変わらない。効率化とは、本来、適正な仕事量に対して行うものだと思う。過大な仕事量をそのままにして、現場の工夫とスピードだけで吸収し続けることを「効率化」と呼んではならない。
だから私は、現在検討が進む次期学習指導要領にも注目している。情報活用能力を高めるため、小学校では「情報の領域」を新たに位置づけ、中学校では「情報・技術科」という新しい教科を設ける方向で議論が進んでいる。情報教育の充実そのものには賛成である。しかし、新しい教科や領域を加えれば、教材研究、授業準備、評価、研修など、新しい仕事が確実に生まれる。
今すでに満杯の学校へ大きな荷物を載せるなら、それ以上に何を下ろすのかを同時に決めなければならない。既存の教育内容も聖域にしてはいけない。
例えば私は、小学校の書写には現在ほど多くの時間を割く必要はないと考えている。毛筆を文化として経験する意味はあっても、今と同じ時間数が必要かは問い直せる。新しいものを加えるなら、「何を減らすのか」まで決める。足す覚悟があるなら、それ以上に減らす覚悟も必要なのである。


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