SNSという「双方向コミュニケーションが前提の場」で発表されたことから、そのぶん多くのファンが世界観を共有し、大切にする文化が育まれたのだ。
それゆえに、ファンのコンテンツ愛は深く、少しでも“怪異”の影が見え隠れすれば、全力で“討伐”に動く。実際、平原さんの投稿を引用して「あの世界のなかに入り込みたい」と同調した糸井重里さんにも、同様の批判が向けられた。糸井さんもまた、映画をきっかけに「ちいかわ」にハマった一人だ。
この感情は、言うなれば「なんか(存在感が)でかくて(影響力が)強いやつ」に対する嫌悪感だ。だからこそ、平原さんや糸井さんが私物化できる立場かどうかは関係ないのだ。
「勝手な夢」でも許されない理由
そして、それは「勝手な私の夢」だとしても認められない。夢を語れば語るほど、その提案は“作品にさらなる命を吹き込むため”ではなく、“自己実現のため”に捉えられてしまう。
そこには「あくまで作品本位であるべきで、自分本位は許されない」という、これまたファンの熱意が存在する。無邪気であることは、他人が大切にしている世界観に触れる理由にはならないのである。
では、平原さんはどのように語ればよかったのだろう。例えば、最初は「ちいかわのミュージカルを見たい」と、観客としての期待を示すところからではどうか。今回ここまで燃え上がったのは、一度に思いを詰め込みすぎたからに他ならない。
ちいかわも「作者と読者の関係性」が築かれた結果、ここまで発展した。段階を踏んだ、丁寧なコミュニケーションなくして、人気作品は生まれない。そうした“SNS時代におけるコンテンツづくりのお作法”を守って初めて、ミュージカル化の芽も出てくるのだろう。


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