それから30年後の1906年、阪神電気鉄道(以下「阪神」)が現在の「ハービスPLAZA ENT」付近に梅田駅を開設した。阪神は前年に、この梅田駅よりも500mほど神戸寄りの出入橋駅を大阪側のターミナルとして営業を開始。その後も工事を行い、大阪駅に近づける形で延伸にこぎつけた。
官営鉄道のすぐ南側にありながら「大阪駅」としなかったのは、地名を優先したのか、「そんなこと言うたら大阪市内の駅は全部大阪駅やんけ」と思ったのか、はたまた官への反発か、今となっては定かでない。
この4年後には箕面有馬電気軌道(現在の阪急電鉄、以下「阪急」)が、33年には大阪市営地下鉄が開業したが、いずれも駅名は「梅田」。かくして、ほぼ同じ場所にありながら「大阪駅」と「梅田駅」が“共存”するようになったのである。
大阪駅を梅田駅が“包囲”していた
ところで、後に日本国有鉄道(国鉄)を経てJRとなる官営鉄道にも、かつては「梅田駅」が存在した。大阪駅の北側にあった貨物専用駅がそれで、「大阪貨物駅」とならなかったのは混同を避けるためと思われる。
この梅田駅は2013年に廃止され、跡地は再開発されてグランフロント大阪やグラングリーン大阪へと姿を変えたが、一時は大阪駅の四方をぐるりと囲む形で梅田駅が“包囲”していたというのは興味深い。

