その後、大阪駅は4回のリニューアルを経て、11年に現在の5代目駅舎が完成した。1934年にはホームの高架化が実施されたが、“埋田”の地名が示す通りの軟弱地盤ゆえ、地盤沈下などに長年悩まされ続けたという歴史を持つ。
一方、阪急の梅田駅はもともとJR線の南側、現在は阪急百貨店がある場所に地上駅として開設。26年には高架化されたものの、国鉄線の高架化に伴って34年には再び地上駅となった。
その際には、国鉄側の事情であるにもかかわらず、切替工事費の全額負担が求められるという“理不尽な要求”も受けている(後の交渉で一部を国が負担することとなった)。駅拡張のため現在の場所に全面移転したのは71年のことだ。
ライバルだった阪急と阪神の現在
また、阪神は39年に再延伸する形で現在の位置に地下の梅田駅を開業。この工事を巡っては阪急との激しい争いが繰り広げられた。詳細は拙著『大阪駅と梅田駅』に記したが、阪神が梅田駅の建設予定地として取得するはずだった土地を、阪急が先行して買収したのである。
この動きは、先行して百貨店を運営していた阪急が、阪神の百貨店業への進出を阻止するためのものだったが、最終的には大阪市が仲裁に入り、阪急は買収した土地を阪神に譲渡。代わりに南側の土地を取得するかたちで決着がついた。
それからもうすぐ90年。ほかにも大阪―神戸間の乗客争奪戦などで泥沼の争いを繰り広げた阪急と阪神が、いまや同じグループ企業として手を組み、件の土地には共同で超高層複合ビル「大阪梅田ツインタワーズ・サウス」が建設されているのだから、歴史というのはどう転ぶか分からないものである。
こうした経緯を踏まえて大阪駅と梅田駅を見て回れば、また違ったものが見えてくるかもしれない。


