ここから見えてくる才能の考え方は、「遺伝か、経験か」のどちらかではありません。「遺伝が、経験の質まで形づくっている」という見方です。素質のある人は練習を続けやすく、続けやすい人はさらに上達しやすい。素質と練習は、ぐるぐると回りながら切り離せないつながりになっているのです。
自分の集中力が、自然にスイッチの入る場面はどこか
とはいえ、がっかりすることはありませんよ。モシングらの研究が教えてくれるのは「練習に意味がない」ということではありません。「練習だけで素質を上回るのは難しい」「自分の素質が活きる場所を選んで、そこで練習を積むのがいちばんむだがない」という、地に足のついた手がかりです。
たとえば「自分には集中力の才能がない」とため息をついている人がいるとします。その人が考えるべきなのは、「集中力を死ぬほど鍛える」ことではありません。「自分の集中力が、自然にスイッチの入る場面はどこだろう」と探すことなのです。
もう少し分かりやすく言いますね。音楽の例で見るかぎり、練習という行いそのものは、素質をひっくり返す魔法ではありません。素質を表に出すための道具として働いているのです。素質と練習は、トランプの絵札と数字札のようなものです。
それぞれ違う役割を持ちながら、同じ手の中にあって、組み合わさってはじめて意味のある手になります。素質だけでは札が伸びず、練習だけでは札が薄い。自分の素質に合った場所で練習を積むことが、いちばん強い手になるのです。
別の言い方をすると、自分が「向いているな」と感じる場所をざっくり探しておくと、そのあとの練習の効きめが何倍にも変わるということでもあります。才能を「見つける」ことに大きく力を入れる必要があるのも、まさにこの理由からです。素質と関係のない場所で1万時間練習しても、その時間は、素質に合った別の場所での1000時間に届かないかもしれません。だからまず、自分の素質と相性のいい場面を探す。この順番こそが、いちばん理にかなっているのです。



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