JRと西武鉄道がこの情報を正式にリリースしたのは、説明会から1週間後の5月19日だった。武藤さんは、説明会当日の対応に首をかしげる。
「鉄道会社の関係者は冒頭に1時間と時間を区切って説明を始めて、40分ほど概要を語ったあとに、質疑応答の時間となって、そのあとは本当に1時間ほどで、説明会はお開きとなりました」(武藤さん)
つまり、「全天候型・バリアフリーの乗換通路をつくる計画があるのですが、どうお考えですか」という提案ではなく、すでに決定した計画に関する短い報告会でしかなかったようだ。武藤さんはそこに引っかかりを感じた。
「商店街を通らない連絡通路をつくるのは否定しないけれど、もう少し前もって知らせてもらいたかった、という思いがありますね。現状は静観している状態ですけどね」(武藤さん)
たしかに昔は反対したものの…
ただし、鉄道会社側の対応について、「ある程度仕方ないのかもしれない」という思いもあるのだそうだ。
「秋津と新秋津の連絡通路は、今回はじめて計画されたわけではありません。これまでも何度か議論されてきた歴史があります。私が父から聞かされているのは、1991年にJR武蔵野線新秋津の隣駅、新小平駅が大雨のために水没したときでした」(武藤さん)
武藤さんの記憶では、新小平駅が使えないことから、これを迂回するために乗り換え客の利便性が著しく低下した。乗客の利便性を少しでも向上させようと、連絡通路の計画が現実味をおびたのだった。しかし、連絡通路ができると商店街を歩く人は確実に減る。商店街としては死活問題だった。
「当時の連絡通路の計画はあくまでも“仮設通路”ということでした。新小平駅が水没から復旧したら仮設通路は撤去される。そういう計画だったと聞いています」(武藤さん)
それでも商店会側の不安は大きかったようだ。
「今から四半世紀以上前のことですからね。秋津商店会も今でこそコンビニとかファストフードなど、大手資本のお店が並んでいるけど、当時はまだ個人経営のお店が大半でした。仮設であればいいんじゃないかとか、いや仮設といってもそれがいつまでも続く可能性もあるぞなど、いろいろな意見が出たのですが、中に”そんな甘いことを言ってちゃだめだ”という人もおり、その人が鉄道会社側に異議を伝えたと聞いています」(武藤さん)
これが功を奏したのか、仮設通路が作られることはなかった。そして新小平駅が復旧してからは、連絡通路の話はぱったりとなくなった。時が過ぎて、商店会を構成する店も個人商店から大資本のチェーン店へと入れ替わっていった。


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