頭が良くて、要領が良くて、バレない工夫ができて、バレても言い訳が立って、親の愛情の所在を測りかねていて、承認に飢えている。ニュースの中の事件と自分の間に、彼は構造的な類似を見る。
「自分がああなっていないのは、運が良かっただけだなと。人の振り見て我が振り直せ、と自分に言い聞かせて生きています」
運が良かった、とは具体的に何か。バレ方が穏当だったことか。「自衛」を選んだ両親の判断か。盗みの対象が親の財布に限定されていたことか。東大に受かって、反抗の理由そのものが消滅したことか。おそらく、その全部である。
「頭がいい子」の心の指導
頭がいい子供が悪いことをしたら、それは許す方向に持っていくべきなのか。Aさんの話を聞いても、取材している自分はこの問いに最後まで答えは出なかった。
しかし、彼の物語はひとつの不都合な事実を示している。Aさんの両親は、心の指導を捨てて勉強の指導を優先し、その結果として息子は東大に受かり、盗みをやめ、事件のニュースを見て怖くなる側の大人になった。問いは解決されなかったが、問いが問題にならなくなる地点に、彼は到着した。
それを「うまくいった」と呼ぶべきかどうかは分からない。少なくとも本人は、自分の物語を成功譚として語らない。運が良かっただけだ、と繰り返す。
神童と呼ばれた子の行き先は、時に、裁かれなかった罪の記憶の隣にある。成績の良さは免罪符ではないが、成績の良さは時に、裁きを遅らせる。遅らせられた裁きの分だけ先に進んだ人間が背負うものが何なのか、Aさんはいまも、ニュースを見るたびに確かめている。


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