だが、「与える側」として周囲を優先してきた福田さんは、誰かに頼る、という選択肢を持っていなかった。
心を開けるような大人はおらず、同世代の友人たちにも素を出せない。幼少期から自己を抑制して生きてきたことで、危機的な状況でも助けを求めない癖がついていたのだろうか。
「周囲に相談できれば、違っていたかもしれませんね」。自身の経験した“静かな危機”について、そう述懐する。
「共感」を求めて調律師の道へ
大学受験では「育った千葉に戻りたい」という思いから千葉大学の理学部・数学科を受験し合格。受験へのモチベーションは低かったが、得意な数学のみで合格できる見通しが立っており、非常に余裕があったという。
「入試前日の夜、ホテルに泊まっていたら麻雀卓があるのが目に入ったんです。近くにいた知らない受験生を誘って、麻雀に付き合ってもらいました」。何とも大胆なエピソードだ。
しかし、大学での学びには面白さを感じられなかった。
「大学には良い先生はいたんですが、『面白いな』と感じる人はいなかったんです。数学でやっていこう、とは思えなくなった」
とにかく実家を出るための進学だった、ということもあり、大学からは足が遠のいていった。授業を取らずに留年となった福田さんは、これからについて考える。思考を重ねる中でぶつかったのは、幼少期からのモヤモヤだった。
「もともと得意なことと苦手なことがはっきりしていて。少しやってできることと、全くできないことのギャップがありました。全然頑張っていないことを褒められたりすることもあって、『何なんだろう』と感じていて」
他者から見える自分と、感じている自分が大きく離れている。そんな感覚は「誰かと共感し合いたい」という思いへとつながっていく。「異質な人間」として生きてきたことで、周囲との対等なかかわりが難しかったことも、影響していたのかもしれない。
どうしたら他者とつながれるだろうか。そんなことを考えるうち、ひとつの思いつきが浮かんだ。「音楽なら、自分の見えるものが人と重なるかもしれない」
ピアノの演奏経験があり、絶対音感を持っていて耳も良い。スピーディーな作業が得意で、理論的な学びも苦にならない。こんな自分に向いている仕事は……福田さんが選んだのは、ピアノの調律師となる道だった。(後編に続きます)


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