脳にある言語野において入力の情報が構造化され、構造化によって理解したものが、今度は言葉として出力されます。つまり、読むことは入力、書くことは出力にすぎず、両者をつなぐ構造化が理解力なのです。
◎言語野における読むこと(入力)と書くこと(出力)の関連性
またその間には、情報を受け取る→理解する→整理する→構造化する→表現するというプロセスがあります。つまり、「書く」という行為は、単に記録を残すためのものではありません。自分は何を理解したのかを確かめ、頭の中を整理し、自分の言葉にして外に出すというプロセスを進める重要な役割があるのです。
そう考えると、今回の研究で示された「読むことと書くことの累積効果」が、単なる読書習慣の話ではないことがわかります。読む、書くという日常的な行為そのものが、考える力を育むための土台になっている可能性があるのです。
AIが普及すると、「考えていない」ことにも気づかなくなる
一方、ここで考えなければならないのがAIの問題です。生成AIの急速な普及に伴い、今、教育現場でもその導入が進められています。文科省もAIの利活用を推奨していますが、この状況に酒井教授は次のように警告を発します。
「AIが身近になればなるほど、私たちは考えなくなるだけでなく、自分で考えていないということにすら気づかなくなります。今後急速に思考力と理解力が低下していくことが予想されます」
東京大学大学院総合文化研究科教授
1964年東京生まれ。東京大学大学院理学系研究科博士課程を修了。東京大学医学部助手、ハーバード大学医学部リサーチフェロー、マサチューセッツ工科大学客員研究員、東京大学大学院総合文化研究科助教授・准教授を経て、2012年より現職。著書に『言語の脳科学』(中公新書、毎日出版文化賞受賞)、『デジタル脳クライシス』(朝日新書)など多数
(写真:本人提供)
これまでは、わからないことがあれば、本を探し、自分なりに調べ、いくつかの情報を読み比べ、自分なりに考えて、最後に文章を書く。それが基本的なプロセスでした。
しかし今は、「これについて調べて」「要約して」「レポートを書いて」とAIに頼めば、瞬時にそれらしい答えが返ってきます。今後、人間のなすべき領域はどんどんなくなっていき、AIを無視して生きていくことは、ますます難しくなるでしょう。しかし、だからこそ、われわれは酒井教授がAIに対して抱いている危機感に耳を傾ける必要があるのではないでしょうか。
「自分で考える。そして、自分の言葉で書く」このプロセスをAIに丸ごと渡してしまったらどうなるでしょうか。それらしい答えは手に入ります。けれど、その答えが本当に正しいのか。自分の問いに対する答えになっているのか。それを判断する力は、どこで身につくのでしょうか。
自分で考える経験をしないまま、AIに「考えてもらう」ことが当たり前になれば、人間の側の思考力そのものが弱くなる可能性があります。
酒井教授が危惧しているのは、そこなのだと思います。
今回の研究が示しているのは、読むことと書くことは、別々の能力ではなく、互いに関係しながら積み重なっていくということです。だからこそ私は、この「累積」という言葉に考える力を育むヒントがあると感じました。
一冊の本を読む。わからない言葉を調べる。「なぜ?」と立ち止まる。誰かと話す。自分の考えを書く。その一つひとつは、小さなことかもしれません。けれど、その小さな経験が積み重なって、私たちの「考える力」の土台になっていくのではないでしょうか。
AIがどれほど賢くなっても、子どもたちから、「自分で調べ、自分で読み、自分で考え、自分の言葉で書く」という経験まで奪ってはいけない。
むしろ、AIが答えを出してくれる時代だからこそ、「自分で問いを持つ」「自分の頭で考える」……その力を育てることが、これからの教育にますます求められているのではないでしょうか。今回の取材を通して、私は改めてそんなことを考えました。




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