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司馬遼太郎の"死との戦い"を見た人物が明かす、司馬が坂本龍馬ら「漢」たちを創造し「戦争」という舞台に放った意味

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大阪府東大阪市にある司馬遼太郎記念館(写真:yanako/PIXTA)

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臨終の夜、さすり続けた手に残る熱いぬくもり――。司馬遼太郎はなぜ坂本龍馬ら「漢」たちを掘り起こし、「戦争」という舞台に解き放ったのでしょうか。巨星の最期と司馬史観の原点に迫る考察を、青木彰氏の新著『司馬遼太郎と三つの戦争』から一部抜粋・編集してお届けします。

集中治療室に最後に入ったのは私と親族の方など3人

彼が亡くなった2月12日の話です。

昼ごろ、司馬夫人のみどりさんが私に大阪に来てほしいといっているという連絡を受け、大阪の国立大阪病院に向かいました。10日に腹部大動脈瘤破裂のために入院し、司馬さんは死との戦いのさなかにありました。

病院に着いたのが午後6時ごろだったでしょうか。集中治療室で親しかった編集者たちが面会させてもらっていると聞き、すぐ、4階の集中治療室に向かいました。

集中治療室の外に主治医がいて、いま入っている人が最後で、もう面会はだめだというんです。そこをなんとかと無理に頼んで、入れてもらいました。最後に入ったのは私と親族の方など3人です。6時10分過ぎでした。

司馬さんは、窓側を頭に顔をやや左に傾けてベッドに横たわっていました。荒々しい人工呼吸音が、押し寄せる死との戦いの過酷さを伝えていました。顔に苦しみの表情はありませんでした。

ベッドの右側に立つと付き添いの医師が体にかけてあったタオルケットのような布の端をめくり、司馬さんの手をさすってあげなさいというんです。いわれるとおりにすると体のぬくもりが私の体中に広がりました。ちょっと熱があると思いました。

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