このような傾向を見ていると、「作品そのもの」を楽しむとともに、「考察」に価値を見いだしている人が多いように感じられる。作品の中に「伏線めいたもの」を見いだし、登場人物の言動と絡めつつ、点と点を線にする。その作業に魅力を覚えている人が増えているのではないか。
当たらなくてもいいギャンブル——考察が快楽になる理由
そこに加わるのが、SNSという「発表の場」だ。自らの考察を開陳することにより、承認欲求を得られる。もし予想が外れても「伏線に見える描写だったんだもん」などと、責任逃れしやすい。つまり身銭を切らなくても楽しめる。当たらなくてもいいギャンブルのような存在なのだ。
結果として、あらゆるコンテンツについて、SNSで考察が深まっている。そして、それを受けてのネットニュース記事も飛びかっている。そこから生まれる宣伝効果を、テレビ局側も利用し始めているのだ。『悪役会議室』を「増幅装置」としているTBSもそうだ。
制作サイドも、予想を避けるようなストーリー展開にしたり、現実と地続きなメタ発言を出したりなど、「考察勢」を意識しているかのような動きも見せている。そこには、SNSや記事で興味を持った視聴者に、TVer(ティーバー)などで見逃し視聴してもらう意図が透けてみえる。
こうした流れは、いつから生まれたのだろう。振り返れば、視聴者がSNSでドラマの感想をつぶやき、ある種のコミュニティーを形成するパターンは、十数年前から存在した。
たとえば2010年代前半には、NHK「連続テレビ小説」の感想をハッシュタグ付きで投稿する「朝ドラ反省会」が存在した。しかしこれらは、制作側とは一定の距離を保った「非公式のファンコミュニティ」であり、だからこそ手厳しい意見も飛び交うものの、それを積極的に番組宣伝へと取り入れようとする動きは見られなかった。


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