1921(大正10)年に青梅街道に路面電車が開通、1922(大正11)年に中央線高円寺駅、阿佐ヶ谷駅、西荻窪駅も開設された。翌1923(大正12)年の関東大震災を機に人口が流入し、高円寺駅、阿佐ヶ谷駅周辺が急激に宅地化された。
一方、永福町は鉄道が通っていなかったことから、宅地化が遅れていた。1933(昭和8)年に帝都電鉄(現・京王井の頭線)が開通したことで宅地化が進んだ。
永福町の世帯数は、1933(昭和8)年にはわずか137だった。高円寺は8299、阿佐ヶ谷は4891であり、街の広さが違うとはいえ発展度合いの差は歴然としている。その後、永福町に関しては1942(昭和17)年に1102となり、1953(昭和28)年に2017にまで増えたが、それでも少ない。(『杉並区史』1955)
高級住宅地の存在
高級住宅地の存在も大きいだろう。
永福町駅・西永福駅は1933(昭和8)年の帝都電鉄(現・京王井の頭線)開通と同時に開設された。帝都電鉄は沿線において、1934(昭和9)年ごろから不動産事業を始めている。
1935(昭和10)年に発行された『住宅資金低金利貸付御案内』というパンフレットには、「永福町以西は高低起伏に富み、住宅地向きの所が多いにもかかわらず、いまだに人口比較的稀薄、したがって、いわゆる武蔵野風景の趣を十分に存しております。(中略)もし建築費の点が十分でないために、せっかくの御希望を実現し得ない人がありましたなら、何とかその御志をとげられるようにしたい心組みから、ここに建築低金利資金御融通を企図した次第であります」と記載されている。
この案内から当時の永福町・西永福には、のどかな田園風景が広がっていたことが目に浮かぶ。
帝都電鉄は加えて1年間無賃優待パスを発行するなど大盤振る舞いで沿線住民の増加に努めたが、業績は芳しくなかったようだ。(『京王帝都電鉄30年史』1978.6)
永福町駅付近では地元住民が高級住宅地作りを目指し、「なるべく真っ直ぐな道路を作り、宅地を道路より50センチ高くして、一流の人が来るように、と1区画最低でも約500㎡とした」という。(『読売新聞』1978.12.18)
「また駅の開設にあわせて、西永福駅の南側一帯(永福3丁目)では1934(昭和9)年末〜1940(昭和15)年にかけて土地区画整理事業が実施された。

