「司法試験の勉強をしていたある日、昼食をとりに行った先で友人が県庁の採用試験の貼り紙を見つけました。友人は静岡出身だったのですが、『受けよう』と言い出したんです。私はその友達がいなくなると思うと寂しくなって、『僕も受けるわ』と言いました。公務員試験には合格したのですが、受かってしまったので親が『徳島に帰ってこい』『仕送りはしない』といいだしたので、『司法試験はいつかまたやればいいか』と思い、なんとなく流れで地元に帰ることになりました」
こうして徳島県庁に入庁した粟田さん。入庁後、5年後に、当時の自治省(現総務省)に入省し、28年間勤務します。
司法試験を諦めた理由を聞くと、「20歳そこそこの時は、1年を受験に使うのがもったいないと思っていたから」と当時の感覚を冷静に語ってくれました。
「20歳なら人生の1/20の時間を使う重さがあるので、若い時期を過ぎ、1年の値打ちが相対的に下がってからやろうと思ったんです」
この考え方が、その後の粟田さんの人生の設計軸になっていきます。
「死ぬくらい働いた」日々の中で残った“弁護士への淡い憧れ”
総務省での28年間は多忙を極めました。「死ぬくらい働いた」日々の中にも、心の中には司法試験への思いが残り続けていました。
40歳の頃、制度変更により試験の点数が受験回数3回まで嵩上げされる仕組みがはじまったタイミングがあり、そろそろ司法試験の勉強を始めるべきかとも考えましたが、当時すでに家庭を持っていた粟田さん。
「40歳を過ぎて司法試験の勉強を始めて、受からない場合、40代後半になってからの後の人生どうしよう」と不安になり、今仕事を辞めるわけにはいかないと思いとどまります。
一方で、岡山県庁に出向していた時期には土日にLEC東京リーガルマインドに通ったり、自分で本を読んで勉強をしたりしていました。
そして、55歳になったのを機に、ついにもう一度司法試験の勉強をする決断をします。その理由を聞いたら、「人生で後悔したくないというのがあった」と語ってくれました。

