「資格があった方が食いっぱぐれがないな。資格を持っておくなら地元の徳島大学の工学部建築学科がいいかな」とぼんやり考えていた粟田さん。
それが変わったのは3年生になる前で、友人の「理系は文系に使われるんや」という言葉で文系がいいかなと思いはじめました。社会のような暗記科目は、浪人して1年やったら伸びると楽観的に信じて文系の国立大学を目指すことも考えました。
「文系に変えるにしても“資格があった方がいい”との想いから法学部を目指すこととしました。国立大学を念頭に、僕は最初から1年浪人をするつもりだったのですが、親から浪人は認められず、目論見は外れました。それなら『進学するかわりに司法試験の勉強をやろうと思うから、1年留年させて欲しい』と言い、了解を得ました」
こうして立命館大学に進学した粟田さん。当時の立命館大学は学問の弾圧があった京大事件の影響を受け、京都大学から移った優秀な学者もいました。
粟田さんは、「偉大な民法学者の末川博先生の授業も聞けるのかな」と誤解して、立命館大学に行くことを決めた側面もあったそうです。
「末川先生は実際は現職の教授ではなく、名誉総長になられていて授業を受けられませんでしたけど、高校生だからそんなことは知りませんでした(笑)。
でも、個人的に授業を聞きたい先生はいました。当時、一部(昼間)の授業は広小路キャンパスで実施されていたのですが、その先生は二部(夜間)の授業を持っていたので、二部の授業が行われていた衣笠キャンパスに話を聞きに行っていました」
司法試験に向けて勉強をはじめたが…
粟田さんは、大学3年生になると、司法試験の準備コース「法職課程」の選抜試験に合格し、仲間10人と司法試験の勉強を始めます。大学内で行われていた無料の模擬試験や合格者・教員による採点指導を受けながら、「4年生の時に1回受けて、翌年の留年した年以降が本番」という計画を立てていました。
1回目の司法試験の受験では不合格になった粟田さんは、親と約束していた1年留年の切符を使って5年生になり、法職課程のコースに通って勉強を続けていました。今年か来年には司法試験に合格しようと思っていた矢先、思わぬところで人生が変わります。

