粟田晋二さんは徳島県の漁港の街に生まれました。祖父は漁師、父は船乗り。「勉強しろと言われたことは一度もなかった」という家庭で、母親からはよく甘えんぼ、頼りないなどと言われていたといいます。
スポーツも音楽も特に得意なものはなく、女の子の同級生に世話を焼いてもらうような子どもでした。
それから公立中学校に進んだ粟田さんですが、入学直後の実力テストで突然成績上位になります。「勉強してないけど、範囲が決まっていないテストなら解ける」状態で、3年間を通じて学年3番以下になることはなかったといいます。ただし範囲の決まった定期テストは170人中20番程度と、得意不得意のムラがありました。
立命館大学に進学した理由
そのまま旧制徳島中学校の名残を引く進学校、徳島県立城南高校に進学すると、同じくらいの入試成績で入ったはずの同級生との差がすぐに表れます。
「後ろの席のやつの中学時代の県下一斉の模試の成績が93/100点で、僕は91/100点だったんです。2点差は一見大したことないけど、授業が進むにつれて雲泥の差でしたね。彼は灘高を目指して落ちた子で、その後徳島大学の医学部に進むのですが、彼のような生徒と違ってこちらは勉強する癖がついていなくて、起きて授業を聞いている程度では、予習をしっかりしてきている人とは差があり、大した成績はとれませんでした」
「同じ調子で授業を聞いているだけは抜け出せない、と気づかされた」と衝撃を振り返る粟田さん。450人中100番前後という“悪くない”程度の成績だった粟田さんは、理系科目が好きでした。

