従来の商品は封を開けてしばらくするとピーナッツが酸化し、風味が落ちたり、油臭く感じたりすることがあった。だが、食べきりサイズのパッケージにすることで、いつでも新鮮な味わいを楽しめるようにしたのだ。
さらに1989年にはピーナッツの酸化を防ぐため、袋内の酸素を窒素に置き換える「窒素充填方式」を採用。その後長らく、「新鮮なピーナッツ」は他社製品との大きな差別化ポイントとして、押し出していくことになる。けれど、当時の消費者には別の利点が支持されたようだ。
「1970年代は、家族旅行や少人数での個人旅行が盛んになり始めた頃でした。小分けの『柿の種』はマイカーや新幹線移動のシーンでも食べやすく、お出かけのお供として需要が高まったようです」(児浦さん)
売り上げ拡大の裏で、派手な販促活動を行った記録は残っておらず、新しい生活シーンに商品がピタリとはまった、ということだったのだろう。商品そのものは大きく変えず、パッケージという「器」を変えたことで、新しい消費スタイルを引き寄せていた。
「ドライ戦争」の追い風
1980年代後半になると、次なる追い風が吹いた。きっかけは「アサヒスーパードライ」の発売を皮切りに、ビールメーカー各社がしのぎを削った、いわゆる「ドライ戦争」だ。ドライビールは当時の主流だったラガービールよりも苦みが少なく、「飲みやすい」と顧客層が拡大。大手4メーカーの合計販売量は、年間で7.5%ほど増加した。
このとき、ビールのおつまみとして「柿の種」が高い支持を得たことで、1980年代後半から1993年にかけて、売り上げが約3倍の急成長を遂げることになる。
「1990年からは柿の種のテレビ広告や販促キャンペーンもスタートしており、ドライ戦争の追い風も相まって、柿の種市場の活性化につながりました」(児浦さん)
この時期を境に、「柿の種」は「ビールのおつまみ」という強力なポジションを確立していく。ただ、これが追々「悩みの種」になろうとは、知る由もなかった。

